1日おきに往復2時間。それでも喜ぶべき

たとえ母のリハビリが終わっても、この先両親が2人きりで暮らすのはやめてほしかった。母は決して認めないだろうが、2人の生活はすでに破綻している。サービス付き高齢者向け住宅やケアハウスに入居する時期なのだ。病気になった本人が一番つらいというのはもっともな言い分だが、それをサポートする家族のつらさはいったいどこに申請したらいいのだろう。

他家に嫁いだことを散々責め、それを担保に私たちに介護を命じてきた。私たちはすっかり飼いならされ一心に努めてきたが、姉は突発性難聴と膀胱炎を患い、私も驚くほど血圧が上昇していた。私たちが健康を損なう前に、2人には生活を変えてもらおう。病院の生活支援課の尽力で、夫婦揃って入居できる介護型のサ高住が見つかった。

母は2ヵ月の間リハビリ入院したが、結局歩くことはかなわず、車いす生活になった。車いすのまま自宅に住み続けるのは難しいと、さすがの母も観念した。そして、サ高住に入居。料金の概算を告げると、母はふふんと鼻で笑い、「それくらい余裕で払えるわ。私とお父さんは、それなりに持っているほうだからね。あんたたちには迷惑をかけないわ」と、誇らしげに言った。

この人は、私たちに迷惑をかけた覚えはさらさらないのだ。娘たちは当たり前に介護をして、それを享受するのは、親の権利だと思っている。

サ高住は、私の住む市内から車で1時間かかった。食事がまずいと嘆く2人のために差し入れを準備し、国道を往復2時間走る。でも、私は喜ばなくてはならない。ここはヘルパー付きだから、私が2人の世話をしなくてもいいのだ。そして、訪問診療や訪問看護があるから、付き添いもしなくていい。

1日おきに訪問する私を彼らは待ち構えている。ズボンの裾上げをしてくれ、枕の高さが悪いから違うものを準備しろ、もっと暖かい靴下が必要だ……。私は忘れないように、それをメモに取る。仕方がない。この人たちと一緒に住んでいないのだから、これくらいはどうってことない。私は幸せなのだ。親も親戚も揃って言うのだから。「あんたたちは、ちっとも大変じゃない」と。

諦めればいいのだ。自分にいつも言い聞かせている。諦めは一つの覚悟だ。覚悟を決めれば、やり過ごすこともできるのだ。

≪電話口の筆者≫

支配的だった両親から離れたくて、大学は県外へ出たという中野さんは、「そのまま東京で就職したかったけれど、就職氷河期で思うようにいかず、地元に戻らざるをえなかったんです。実家に戻りはしなかったものの、親の存在は常に近くにありました」と話します。

ご両親から反対された結婚ですが、「姉をはじめ周りのサポートもあって」、無事ゴールイン。「私が親の世話で家をあけることが多くても、文句一つ言わない優しい夫」がいたから、このように献身的な世話を続けられたのでしょう。

現在、お母様は病状が悪化し、脳梗塞も患ったため療養型病院に入院中。コロナ禍の前は、足繁くお見舞いに通っていましたが、いまは難しくなっているそうです。