老いても頼ろうとせず
母は80代に入った頃から少しずつ、認知症の症状が出始めていたのでしょう。小さな物忘れがたびたび起こるようになります。お弟子さんにヴァイオリンを教えることは入院するまで細々と続けており、母の生きがいになっていました。ところが次第に、2人のお弟子さんの予約を同じ時間に入れてしまったり、変更を連絡し忘れてレッスンができなかったり、差し障りのある物忘れが目立ち始めたのです。
しかし物忘れ以外では、80歳近くまで屋根の雪下ろしをし、朝晩の犬の散歩を欠かさず、とても元気でした。なので、たまにある失敗は「疲れているだけ」と言ってやり過ごそうとします。母は、自分の老いはもちろんのこと、認知症かもしれないなんて、絶対認めようとしませんでした。
今思えばパーキンソン病の兆候だったのでしょうが、倒れる前の年くらいから、母は立ち上がるのがつらそうだったのです。それで私は、持ち手に犬の顔が彫ってある、イギリス製のちょっと趣味のいい杖を探して、母にプレゼントしてあげた。ところが「まだ必要ないわよ」と、持ってみようともしない。きっと本人も、身体の変化には気がついていたと思うのですが、やっぱり気丈でしたね。
また、倒れる前から母は老人用のおむつパッドを自分で買って使っていたようなんです。「ようだ」と言うのは、パッドを置き忘れたり、パッケージが捨ててあったりといった痕跡が、一切なかったから。倒れる少し前に妹と3人で温泉に行ったのですが、その時も母は「あなたたち、先に入りなさい」と言うのです。脱衣所でひとりになって初めて、身支度をしていたのでしょう。そのくらい、娘たちに頼ろうとはしませんでした。
母の認知症を認めたくない
母の言動がどうも怪しくなってきた、と妹からちょくちょく聞いていた私は、イタリアから東京に帰ると、頻繁に実家に行くことにしました。
しばらくぶりで会うと、やはり母の少しヘンな様子が目につきます。私はつい、「レッスンのダブルブッキングなんて、らしくないよ。しっかりしてよ」と、いつもの調子で言ってしまう。さらには「お母さん、今から私が言うことを思い出せるかどうか聞くからね」なんてことをやっちゃったりする。
あの聡明で、年のわりに頭の回転が速かった母が認知症かもしれない、ということがショックで、私も認めたくなかった。進行を食い止められるものなら食い止めたいとも思っていた。でも母の答えは惨憺たるもので、私はついガックリしてしまい、それを見た母も自分の状態を突きつけられてしょんぼりする。
妹には「お姉さんが来ると、お母さんが混乱するみたい」と言われてしまいました。それじゃ頻繁に会わないほうがいいのかな、会ってもきついことは言わないようにしなくちゃと、さすがに反省しましたね。