認知症になるのも悪くない

このところ私は毎日、自分の言動を振り返って考えることにしています。たとえばイタリア語を話していて、「今まではスッと出たのに、なんであの単語がすぐ出てこなかったんだろう」とか。毎日必ず、自分が老いていく兆候を見つけては、ほらやっぱり、年を取ってきた証拠だなって、確認する。そうしたほうが、拒んで拒んで、ある日いきなりガーンと突きつけられるよりも楽でしょう?

母のように認知症になるのって、悪いことじゃないなと思います。長生きをすれば、どうしても身体はあちこちガタがくる。できないことが日々増えるのも自然なことなので、それを自分でも前向きに認めつつ、子どもや夫にも知らせつつ(笑)、ゆるやかに覚悟していきたい。

年を取って、こんなはずじゃなかった、こんな自分になるなんて、と悶々と苦悩するよりは、母のようにやっと闘いから解放されて、ありのままの自分を許して生きるほうがずっと自然です。意識がいつまでも清明でいるよりも、ぼんやりして亡くなっていくほうがいいのかもしれません。

ちなみに私ですが、死ぬまでガンガン仕事を続けたいという気持ちはないですね。マンガを描くのって、ものすごく体力がいる。だから60歳くらいになったらやめようかな、と思わないでもない。イタリアに引っ込み、昔のように売れないけど描きたい絵を描いて過ごす、みたいな願望があるんです。