描いていた未来を断ち切られて

思い出の詰まった自宅ではとても暮らせないので、いまは近隣の実家に身を寄せながら会社員を続けています。親族や友人の励ましにもずいぶん支えられましたね。自死にとらわれていたとき、「2人が見守ってくれているんだから」と叔母がかけてくれた言葉にも救われて。

幼馴染が飲みに誘ってくれたとき、ふと自分が自然に笑っていると気づいてハッとしたこともありました。ああ、僕も笑っていいんだな、と思えたのは貴重な体験でした。

一周忌を機に、僕は実名で活動することを決めました。死者の名前は公表されるため、すでに名字は知られていたと思いますが、フルネームはマスコミの方にお願いしてずっと伏せていました。

正直なところ、最初の会見のときも、世の中に顔を出すことはとても怖かったのです。でも署名をいただく際、皆さんからはお名前をいただいている。自分も今後こうした活動を続けていくなら、きちんと覚悟を決めなければならないと思いました。これまでの生活が脅かされたり、好奇の目で見られたりすることも承知のうえで、両親の理解も得ました。

そもそも事故直後、「2人の命を無駄にしたくない」と口にしたものの、具体的になにをすればよいのか、見当もつきませんでした。警察や弁護士、マスコミとどのようにつきあっていくのか、裁判にどう向き合っていけばいいのか。経験者が誰もまわりにいないのです。それでも、とにかく自分1人でなにかしないといけない、と途方に暮れていました。

そんな僕に、「あいの会(関東交通犯罪遺族の会)」代表の小沢樹里さんが、お手紙と「被害者ノート」を送ってくれました。「被害者ノート」というのは、捜査や公判に臨むときの注意点や加害者と会うときの心がまえなどがまとめられた1冊。その後お目にかかって、会のメンバーがみな交通事故遺族という同じ悲しみを抱えていて、すでに再発防止活動に取り組んでいることも知りました。

「今晩なにを食べるか」とか、人はさまざまな選択肢の積み重ねで生きています。僕はあたりまえのように真菜と莉子と3人で生きていく人生を思い描いていたけれど、突然その道を断ち切られてしまい、どっちの方角に歩いていけばいいのかまるでわからなくなってしまった。

でも「あいの会」に参加したことで、再発防止活動をしてもいいし、しなくてもいい。そんなふうに自分にも選択肢があるんだ、と再び気づくことができました。

交通事故遺族といってもさまざまな生き方があっていい。ただ僕の場合、やはり再発防止活動をしているほうが自分らしく生きられる気がします。同じ経験を持つ者同士、精神的なサポートをしていただいたことで、勤め先に復帰することもできました。それまでは、通勤のために自宅から駅まで歩くだけでも、「ああ、この道は3人で歩いたな」と、涙がこぼれて止まらなかったですから。