莉子が生まれるときは、沖縄での出産に立ち会いましたが、「痛い」と口にも出さず、必死に痛みに耐えて頑張っている真菜の手をただ握っていることしかできなかった。生まれた莉子をはじめて抱いたとき、「かわいいね」とようやく真菜が涙を流して。ひとつの命が誕生する大変さ、尊さを間近で見て、2人を絶対に幸せにしようと心に誓ったのです。
いま、1人でも多くの命を救いたい、そういう活動を続けていきたいと僕が思えるのは、そうした2人の存在が大きな原動力になっているのは確かです。
莉子は真菜に似て、控えめで優しい女の子でした。自分が使っているオモチャも、友達に「貸して」と言われると、「どうじょ」とすぐに渡してあげるような子で。一度だけ、僕が「自分が遊びたいときは、遊びたいって言っていいんだよ」と言ったら、ショックだったのか泣いていましたね。
本当は、今年の1月に一家で沖縄に移住する予定だったんです。沖縄で子育てしたいというのは、真菜が望んでいたことでしたから。僕は会社をやめて、沖縄でSEとして働くつもりだったので、事故当時は、休日になると図書館にこもってプログラミングの勉強をしていました。
毎週土日に僕が家にいないので、莉子は不満だったのでしょう。生まれた日から亡くなる前日まで真菜が毎日欠かさずつけていた育児日誌にも、「もっとお父さんと遊びたいと言っていた」と書いてありました。事故後にそれを読んだときは、本当に後悔したものです。
憎しみを愛に置き換えて
加害者への処罰感情を示すための署名活動では、皆さんから39万筆を超える署名をいただきました。加害者は今年2月に自動車運転処罰法違反(過失致死傷)で東京地検に在宅起訴され、いつ刑事裁判が始まるか、いまはまだわかりませんが、僕は被害者参加制度を使って裁判に出席する予定です。
加害者への思いをよく問われますが、なるべく考えないようにしている、というのが正直なところです。たとえば「心から反省してほしい」「反省の弁を述べてほしい」といくら僕が思っても、加害者の心は加害者自身が決めること。僕にはコントロールできないことなのです。
もちろん人間ですから、加害者を憎んだり、恨んだりするのは遺族として当然だと思います。ただ僕の場合、自分がコントロールできないことで憎しみにとらわれていても、自分がつらいだけなんです。
だったら相手を憎む時間を、「2人を愛している」「2人に感謝している」という思いにあてたいと思っています。まあ、これも自分の精神状態を守るためなのかもしれません。そう考えていないとおかしくなってしまいそうだから。