妻を軽んじる夫

<行方不明になったヨシ子を捜す康だが、妻との会話内容をよく覚えていない。友達はいたのか、パート先の人間関係はどうだったのか、ヨシ子について何も知らないのだ。一方で、ヨシ子は、生まれ育った町を出たかったのに残ったのは母のせい、離婚しないのは息子のため…とすべて他人のせいにする。息子の達也も受け身のヨシ子のことを鬱陶しいと思っていて…。うまくいっているように見えた家族の真実の姿が、ヨシ子の失踪で露呈する>

若い頃から私の周りには、「離婚したい」と言っている人が多くいました。実際に離婚した人もいますが、「離婚したい」と言いながら別れていない人がいる。奥さんが離婚したいと思っているということは、家庭内にひずみができているはず。そこからヨシ子の夫・康と息子の達也というキャラクターができました。

康はヨシ子のことをちゃんと見ていないんです。『うちのツマ知りませんか?』のツマがカタカナなのは、夫が妻を軽んじているという意味を込めました。康はヨシ子が出ていったところを目撃しているのに、どんな服装なのかもわからない。妻が怒っていることにすら興味のない人物です。

『うちのツマ知りませんか?』(著:野原広子/オーバーラップ)コマ抜粋
『うちのツマ知りませんか?』(著:野原広子/オーバーラップ)

<一方で、野原さんはヨシ子を「かわいそうな妻」という描き方はしていない。結婚生活がうまくいかないことをすべて他人のせいにする他責的な側面をきっちり表現した>

ヨシ子は、常に誰かのいうことを聞いている風でいて、実は誰かのせいにするタイプ。ラジオの人生相談で怒られている高齢の女性は多いんです。常に誰かの言うことを聞いていたら、守ってもらえると思っている人は意外といました。私の周りでも、「なんで結婚したの?」と聞くと「この夫なら生活が困らないと思った」とか「やりたいことをやらせてもらえると思ったから」と答える人がちらほらいる。

初めから、相手の人生に乗っかるつもりですよね。「一緒に幸せになろう」ではなくて、「幸せにしてちょうだいね」という感じ。ただ、昭和は男性が女性を守るし、女性は男性のいうことを聞いていればいいという時代だったのだろうと思います。

ヨシ子も男の人におごってもらって嬉しいという世代ですが、今の若い人は違う。自分で買うから嬉しいし、一人で生きていけることが誇らしい。「未婚」というより「非婚でいい」となってきているので、結婚への意識もだいぶ変わってきたなと思います。

作中では、ヨシ子の息子、達也の妻・茜が登場します。茜と達也は事実婚で茜には仕事がある。自分の稼ぎで好きな靴を買える茜と、安い靴さえ夫の顔色をうかがう必要があるヨシ子という対比をしています。