「機能不全家庭」における、ある【傷の記憶】
食事は用意され、子どもも毎日学校に通う。表面だけを見れば「何の問題もない普通の家庭」に見えるでしょう。でも、あの家には、心の休まる場所なんてどこにもありませんでした。本当なら、一番安心できるはずの家。それなのに、そこが一番緊張する場所だった。
私自身、そんな「形だけの家族」の中で育ちました。
弟には惜しみない愛情が注がれていました。進学も習い事も、生活に必要なものも、何もかも与えられて。でも私は、まるで最初から存在していないかのように扱われ、必要なものさえ与えられない日々でした。
母の機嫌が悪い日は、決まって私に怒りが向けられました。理由なんてありません。ただ、そこに私がいたから。「その顔が気に入らない」と手を上げられることもありました。
弟が同じことをしても「しょうがない子ね」と笑って済むのに、私には「またあんたか」と突き放す。母にとって私は「扱いづらい子」「問題のある子」だったのでしょう。いつの間にか、そんなレッテルが貼られていました。
やがて弟も、母の怒りを避けるために私から距離を置くようになり、次第に母と同じ目をして私を見下ろすように。
誰も私を守ってはくれませんでした。誰も声を上げてくれなかった。家族それぞれが自分を守るために沈黙を選び、一人の〝悪者〟を決めることで、なんとか自分だけは安全を確保していた。そんなゆがんだ秩序の中で、「誰も私を助けてくれない」という現実だけが、静かに、でもたしかに、私の心に染み込んでいきました。
これが、私にとっての「普通」だったんです。心の声を押し殺し、見て見ぬフリを当たり前にして、ただ耐えるしかなかった。
親との関係を修復しようと頑張った時期もありました。でも、どれだけ歩み寄っても「弟とは違う」という線引きは消えなかった。何度も何度も打ちのめされて、だから私は、もうあきらめることにしたんです。