秀吉と信長、どちらの直臣だったのか?

今回の『豊臣兄弟!』でもそうですが、ドラマでの半兵衛は、織田信長による美濃攻めの辺りで秀吉と知り合い、そのまま秀吉の配下になるとの流れで描かれることが多いように思います。

『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(著:濱田浩一郎/内外出版社)

一方の史実では、信長によって美濃稲葉山城が陥落したのは1567年のこと。

それから、半兵衛の嫡子・竹中重門が著した『豊鑑』(秀吉の伝記)には元亀元年(1570)の夏、信長が北近江の浅井長政らを攻めた時、秀吉は先駆けを望みますが、その際、信長に「美濃国人竹中氏、牧村氏、丸毛氏の3人を与力として加えたい」と請うて許されている、と記されています。

つまり元亀元年段階での竹中半兵衛は、秀吉の家臣ではなく信長の直臣だったと考えられる、といえそうです。

『竹中半兵衛』(新人物往来社、1988年)の著者・池内昭一も、この元亀元年から半兵衛が秀吉の軍師として活躍を始めると述べています。秀吉と半兵衛との真の交流が始まるのは、我々がイメージするよりも少し後のことと言えるでしょう。