高1の頃はゲームセンターに通ってばかりだったという四男・亮吾さん(左)と、父親の松丸悟さん(右)(写真提供:repicbook)
メンタリズムを日本のメディアに初めて紹介したメンタリスト長男・DaiGo(松丸大吾)さん、謎解きブームを起こした四男・亮吾さんら、それぞれの道を各自で切り開いている松丸四兄弟。特に亮吾さんは、テレビなどを通じて、今やその姿を見ない日はないほどに活躍しています。そしてその四兄弟を育て、伸ばしたのが悟さん・順子さん御夫婦でした。しかし悟さんいわく、高校生のあるときまで、亮吾さんはまったく勉強をしていなかったそうで――。

すっかり勉強をやらなくなった亮吾

大吾への反骨精神や妻お手製のノートのお陰で、偏差値の高い中学に入学できた四男・亮吾。

しかし小学校4年の時、「東大に行けなかった」と言う大吾を前に「僕が東大に行く!」と言い放ったその気持ちも、時間が経つにつれて徐々に薄れていったような気がします。

亮吾いわく「自分が東大に行くとはまったく思っていなかったけど、麻布高校だから、取りあえず受けるだけは受けておくか」くらいの気持ちだったそうです。

私はあえてとやかく言いませんでしたが、高校1年生のときはすっかり勉強をやらなくなり、予備校にも行かず、ゲームセンターに通ってばかり……。

東大コースの授業料が高いことなど一ミリも気にすることもなく、世間知らずのよくある変な自信からくる「何とかなるでしょ」精神で日々過ごしていたようです。

そんなときです。妻の順子が亡くなったのは……。