人に振り向いてもらえる喜びを知った

20歳直前に、専門学校で組んだバンドのメジャーデビューが決まって上京したものの、思うように売れずバンドは解散。そこからは、一人コツコツとデモテープを作り、つてを頼ってレコード会社の人に聴いてもらう日々を過ごしていました。当時はバンド全盛期で、男性のソロボーカルなんてほとんどいない。西川貴教として個人で活動していくには難しい状況でした。

つらい時期でしたが、不思議と自分の中に諦めるという選択肢はなかったんですよね。僕は中学・高校と勉強もスポーツも並レベルで、思ったこともろくに言えない人間だった。でも、自分が歌うと、人がそれまでとまったく違った表情で振り向いてくれるという喜びを知ってしまった。音楽から離れたら自分が無くなるような気がして、やめる勇気を持てなかったのです。

そんな時に声をかけてくれたのが、ソニーミュージックの中の一部門「アンティノスレコード」でした。そこは社内でも独特な雰囲気のレーベルで、「どうせ何をやってもうまくいかないから、無茶しよう」と全員が開き直っていた(笑)。

僕も腹を括って、男性ソロのプロジェクト「T.M.Revolution」としてデビューしました。Takanori Makes Revolution(貴教が革命を起こす)の名の通り、やる以上は本気で革命を起こそうと。それが1996年のことです。

翌97年の1月、ダウンタウンのお二人がMCを務める音楽番組『HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP』に初出演することになりました。レコード会社は当初、T.M.Revolutionを謎めいた中性的なキャラクターで売り出そうと計画していたんです。ところが僕は、ダウンタウンのお二人と関西弁で漫才みたいな掛け合いを披露してしまった。

事務所の人たちからすれば、「イメージと真逆のキャラクターを出しちゃって……こんなんで売れるわけないでしょ!?」という気持ちだったのでしょう。収録後に楽屋に戻ると、関係者全員がうなだれていて、気まずい沈黙が続きました。(笑)

ところがいざ放送されてみれば、たくさんの方にT.M.Revolutionの存在を知っていただく結果になって、大成功。なにしろ「このプロジェクトがうまくいかなかったらレーベルを畳む!」というくらい、崖っぷちに追い詰められていたチームでしたからね。大げさではなく、あの番組で人生が変わりました。いじってくれたダウンタウンのお二人には、いまも感謝しています。