地元・滋賀への愛を持ってもらうため

僕の中で大事にしているものとして、地元の滋賀県に貢献する仕事があります。2008年に「滋賀ふるさと観光大使」に任命され、翌年から滋賀県草津市で野外音楽イベント「イナズマロック フェス」を毎年開催してきました。

実は観光大使就任の少し前に、母が脳の病気を発症したんです。最初は「最近、ちょっと気分が落ち込むのよ」くらいの軽い症状だったものの、検査をしたら髄膜腫などの疾患が発覚。最終的に「多系統萎縮症」という難病であることがわかりました。

当然、僕も母の闘病を支えたかったのですが、東京で仕事をする以上、頻繁に帰省はできません。「ならば仕事を作ってしまおう」ということで観光大使をお引き受けしたんです。

そもそものきっかけは、07年末に滋賀県の広報誌で嘉田由紀子知事(当時)と対談したことでした。その際、滋賀県から出ていく若者が多いことを伺って、地元への愛を持ってもらえるようにできることはないかなど、僕なりに考えていたことをお伝えしたんです。

すると「一緒にやりませんか?」とお声がけいただき、フェスの開催が実現した。公務員一家の“異端児”だった僕が、遠回りはしましたけど、家族と同じように、地域に貢献できるようになるなんてね。ほんと、人生って面白いです。

もっとも、時間と共にフェスの目的も変わりました。「地方にいては何もできない」という悔しさを若い人に味わってほしくないし、彼らが地元で新しいことを始めるきっかけになれば、という想いがあります。ロックフェスとはいえ、バンドだけでなくアイドルやお笑い芸人さんまで、ジャンルを超えた方々に出演していただき、僕自身も楽しんでいます。

もうひとつ、母のためにテレビへの出演も増やしました。基本的に僕らミュージシャンがテレビに出るのは、新曲をリリースするタイミング。それ以外はレコーディングやコンサートツアーをしているのですが、田舎にいる家族は事情を知らないから、「貴教、最近テレビ出てへんけど仕事がないの?」と心配するわけです(笑)。

入院している母にはテレビが何よりの楽しみになっていたので、積極的にテレビ出演をさせていただくように。画面に映る僕を見るたびに嬉しそうにしていた、と家族から聞きました。

母は3年前に亡くなりましたが、心残りは孫を抱かせてあげられなかったことと、僕が朝ドラに出ている姿を見せられなかったこと。妹たちのところには子どもがいますが、僕にはいない。朝ドラは地元の話ですし、とても喜んでくれただろうと思うんです。母ちゃんに喜びを味わわせてあげたかった、と今でも悔いが残っています。結婚も……できれば、またしたいですよ。諦めてません!(笑)