信長が“岐阜”と名付けたワケ
岐阜の「阜」は丘や小山を指しますので、岐阜は岐山に通じます。
岐山は周の文王が拠点とした地名として有名です。
文王の子の武王は「酒池肉林」の享楽などで暴君として有名な殷の紂王を滅ぼしましたが、文王は実力では紂王を圧倒していたのに臣下の礼を執り続けました。
儒教はこういうのが大好きで、文王は理想的な君主として高く評価されています。
信長は我こそは周の文王たらんと、岐阜の名を付けたのだと思われます。岐阜の名は以前からあったとする説がありますが、信長の頃から一般的になったことは間違いないので、改名に彼の意志が働いた、とすることの反証にはならないでしょう。

