「終い」の過程を自分なりにやり遂げた
警察署から遺体を引き取るという特殊な事情、大量の遺品の処分、移動費や宿泊代も含めて百数十万円もの出費になりました。「こんなことなら、兄にちびちびとお金を渡して少しでも長生きしてもらったほうがよかったのでは」と悔やみもしました。弱気になりがちな私を叱咤激励し、「終い」の作業を一緒に進めてくれたのが、兄の元妻で良一くんの母である加奈子ちゃんです。離婚後、シングルマザーとして兄の娘を育て、バリバリ働いてきた彼女の交渉術と前向きな行動力に、どれだけ助けられたことか。
また警察や市役所、児童相談所の方や学校の先生、車の処分を引き受けてくれた自動車販売店にいたるまで、多賀城市の皆さんの温かな心づかいにも力づけられました。少し落ち着いてきたころにホテルで食べた朝食の美味しさ、帰りに求めた洋菓子の味など、よい思い出も書き残しておきたかった。
私の兄に対する感情が、少しずつ変化したこともあるでしょう。本書を書き終えてから私は、何か美味しいものを食べるたびに、「兄ちゃんは、もうこれを食べることができない」と考えるようになりました。兄のことを、ふとした瞬間に思い出すのです。それは「終い」の過程を自分なりにやり遂げたという達成感があったからだと思います。私のやるべきことはやったよ。だから冷たかった妹のことも、少しは許してよね、と。
本書にはわが家の事情を包み隠さず書いたため、発売後に親戚から「理子ちゃん、こんなことまで書くなんて……」とあきれられてしまいました。最終的には、物書きの性(さが)のなせるわざと理解してはもらえましたが。
その後、良一くんは加奈子ちゃんの元で新しい生活を始めました。彼はまだこの本を読んでいません。成長していつか手にする機会があれば、兄に対する私の気持ちを知ってもらい、思い出話ができたらと願っています。