「小姐――編集長は、旅がお好きなんですか?」

 百合川は視線をハルに向ける。

「旅がきらいな女なんているだろうか――」

 それは質問ともひとりごとともつかない言葉だった。

「さあ、旅に男も女もあるんですか?」

「わたしは、ずっと遠くへ、遠くへいきたかったよ。蔡家の娘でいたら、いつ養女にだされるかわからないし、いまだって結婚しないでいるのには、それなりに努力がいるんだ。まあ、それだって、留学どころか女学校にすら通えなかったほとんどの女たちから見れば、贅沢な悩みなんだろうがね」

 ハルはその言葉に、前に百合川にきいた話を思いだした。三歳のとき、百合川は台湾の慣習に沿って叔父(スーフー)の家に養女にだされたが、必死で三里(約十二キロメートル)もの道を歩いて、生家に逃げ帰ったという。

普段は傍若無人な百合川が急に小さな子どもに戻ってしまったようで、無性に抱きしめたくなった。もちろんそんなことはできないけれど。

なにも答えないでいると、百合川はまたいつものからかうような調子で、「わたしもきみくらい腕力があれば、きらいなものを全部叩きのめして自分のやりたいようにできるんだろうがね」といった。

 向かいに座るカンカン帽の男がかすかに眉をしかめるのが見えた。ハルは、ほとんど無意識で睨むような視線を男に送ると、まあ、病院送りにした相手の数は両手の指じゃあ足りませんからね、と足を組む。ハルは百合川が笑いをこらえているのがわかった。男は顔を隠すように帽子を深くかぶる。

 嘉義(かぎ)で男は逃げるように降りていった。百合川はハルの隣に座ったまま、足を伸ばす。窓を開けて、果物をカゴに入れた物売りの少女を呼び止めると、袋いっぱいのライチを買った。手早く小ぶりの果実を剝くと、ハルを顔を見る。

「ほら、玉蘭のおにぎりだけじゃ足りないだろう?」そういって、ハルの口にライチを一粒押しこんできた。

爽やかな香りと甘酸っぱい果汁が口のなかに広がっていく。