一九三三年、日本統治下の台湾。ある事件により東京の雑誌社をクビになった記者・濱田ハルは、台中名家のお嬢様・百合川琴音のさそいに日本を飛び出し、台湾女性による台湾女性のための文芸誌『黒猫』編集部に転がり込んだ。記事執筆のため台中の町を駈けまわるハルが目にしたものとは――。モダンガールたちが台湾の光と影を描き出す連作小説!

八 

 

 まだ日が昇る前の台中駅は静まり返っていた。

大きな荷を担いだ行商風のおばさんが数人、駅のベンチに身を寄せて眠りこんでいる。玉蘭が持たせてくれたおにぎりはかすかに温かい。玉蘭は原稿を夜通し推敲していたというのに、ハルに炊き立てのごはんのおにぎりまで用意してくれた。

昨夜、高雄ゆきの汽車に乗らないかという百合川の言葉をきいたとき、ハルはほとんど躊躇(ちゅうちょ)することなく承諾した。百合川は、秀玲と明日子が見るはずだった景色を見てみたい、とかすかに頬を紅潮させていった。それは原稿を書きながらハルが思っていたことと、まったく一緒だった。

駅のオレンジ色の電灯の下で、百合川の桃色のブラウスはよく目立っていた。ハルをみつけるとうれしそうに手をふって、それからあくびをひとつした。ハルは百合川とふたりで遠出するということが無性に照れくさいような気がして、小さく会釈する。

午前四時五十三分、高雄に向かう下りの十五号は定刻通りに発車した。汽車は、漆黒の闇のなかを南へと走っていく。

寝台車両の後ろに連結された二等客車の四人がけシートに、ハルは百合川と向かいあって座った。時刻表によると台北を夜十二時七分に出発した汽車。車内はあまり混んでいない。

彰化でカンカン帽をかぶった商人風の男が乗ってきて、百合川はハルの横に移動する。

窓際に座るハルの左側の空が徐々に明るくなってきた。汽車が二水(にすい)の駅を出発してほどなく、完全に夜が明けた。

白い光が緑の山々の向こうから差してきて、あたりに広がっていく。バナナの農園、背の高い椰子の木、マンゴーの葉も、みんな朝の色に染まった。

百合川はなにもいわず、ただ窓の外を見ていた。最初のうちこそ、ハルは緊張で身を固くしていたが、窓の外を子どものような顔をしてながめている百合川を見ていると、遠い昔、妹の小鈴と呉(くれ)まで小旅行にでたときのようで、気持ちが静まっていくのを感じた。