彼女たちの多くは、ふっと後を振り返った時に、自分のあとに随(つ)いてくる女たちがあまりに少ないのを嘆く。彼女たちの共通点は、結婚問題に悩む若い女性や、子どもを持って苦労している世帯持ちの同性の労働者に対して、同情がないことだ。もちろん男社会の中で男に伍して働くには、「男の三倍働いて、やっと男なみに認められます」といった苦労はあるだろう。
このがんばりやの女性たちは、後輩の女たちが、自分と同じように努力しないのが歯がゆい。職場の同僚で、家庭持ちの女には、同情するどころか、かえって家庭を顧みずに働くことを強要する。「女の上司だから女に理解があるなんて、ウソっぱちね」と、若い女たちがあきれるほどだ。自分が家庭を放棄し、女らしさを犠牲にしてきたという被害者意識がどこかにあるから、同性にはかえって容赦がないのだろう。
●職場にとどまるなら100%の有能な職業人に
このタイプの職業婦人のひとつのパラドクスは、自分が有能な職業婦人であることと「女の幸福は結婚」と考える頭のなかとが、いっこうに矛盾しないことだ。たとえば明治期の職業婦人のパイオニア、女教師たちは、自分は結婚制度の外側にいながら、女生徒たちには結婚生活の理想を説いた。実践女学校の創設者下田歌子は独身女性、跡見女学校の跡見花蹊は若くして夫に死に別れた未亡人だったが、二人とも女子教育の理想に、「良妻賢母」主義を掲げた。
考えてみれば、教壇に立つ女教師が、女の幸せは結婚にある、自分をモデルにするな、と説くのだから奇妙な話だが、この「謎」は、こう解けば謎でなくなる。つまり、彼女たちは「結婚するなら100%の良き妻・良き母に、職場にとどまるなら100%の有能な職業人に」の二者択一のモラルを内面化して生きているのである。結婚したら職業は放棄〈すべき〉だし、職業を持てば結婚は断念〈すべき〉なのだ。そしてこの二者択一の中で、自分はたまたま職業の側にいるから、100%のよき職業人でいるが、だからと言って、女の子たちに家庭人としての教育を授けることには何の矛盾もない。自分は故あって結婚の外側にいるが、彼女の仕事は、女の子を結婚の中に送りこみ、良き妻・良き母とすることなのである。彼女はただ自分の価値観を若い世代の女性に伝えているにすぎない。
女らしさを抑圧し、女であることのハンディを努力で補ってもなお、男と伍して働く独身の女たちは分が悪い。一人身は気ラクでいいじゃないの、という予想とは反対に、世帯持ちの男たちには、専業主婦という強力な援軍がついているからだ。帰ればフロがわき、メシの仕度がしてあり、洗濯物は放り出しておけばきれいになって戻ってくる、という男たちとちがって、独りものの女は、身のまわりのことを何から何まで自分でやらなければならない。だから女たちは「私だってヨメサンほしいくらいよ」と悲鳴を上げる。
後顧の憂いなく夫を働かせる銃後の妻あってこそ成りたっている、日本の仕事優先の企業社会では、専業主婦のいない男や女は、不利なのだ。まして女房が共働きで、夫に家事分担を要求するに至っては、悪妻ここに極まることになる。