撮影:本社写真部
2019年度・東京大学学部入学式で、上野千鶴子さん・同大学名誉教授(認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長)の祝辞が話題を呼びました。『婦人公論』には何度もご登場くださっている上野さん。最初にご登場いただいたのは、34年前、特集「女にとって実力とは」内の一論考です(1985年4月号)。祝辞の中で上野さんは「フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」と語りました。本論考の中でも、その思想に変わりはありません。今回、上野さんに許可を得て、掲載させていただきます。ご覧になってどう感じられますか? ぜひ皆様のご意見お待ちしています

「女の解放」についての古くさいイメージ

女性解放とは、女の自立とは、どんなことをさすのか、しだいにわかりにくくなっている。女性解放が即職場進出と信じられた時代とちがって、「女が仕事を持っても、必ずしも女性解放につながるとは言えない」と答える女性が約35%もいる(総理府「婦人に関する世論調査」1976年)。

食事ひとつ作れない男の生活無能力ぶりを見れば、「経済的自立だけが自立とは限らない」という議論も出てくる。豊かな社会の中で、主婦がたっぷり自由時間を持てる生活をエンジョイできるとなれば、「女に生まれてトク」をしたという考えもあらわれる。女性解放が、「被害者の正義」を叫んでいればよかった時代は、終わりつつあるようだ。

現に、アメリカのウィメンズ・リブの創始者、ベティ・フリーダンは、「私の娘はフェミニストと自分を呼びません」と言う。「なぜって、もう彼女たちの世代はフェミニスト(女性解放論者)である必要がなくなったからです」。

フリーダンのように女性解放がすでに達成された、と考えるほど私はオプティミスティックではないが、ともあれ「解放」のイメージが錯綜し、見えにくくなってきたことだけは、たしかである。それは、女の状況が、ここ二、三十年のあいだに、確実に変化してきたことを反映している。その変化の速度は、思ったより早い。もちろん大状況は絶望的なほど遅々として変わらないが、少なくとも女の意識と暮らしの変化は、世代の交替のスピードより早い。

それなのに、いやそれだからこそ、女の解放についての古くさい固定したイメージが、人々の頭にまだこびりついている。その混乱を解きほぐすために、確実に変化してきた女性解放の諸段階が、いまどこまで来ているかを、順を追ってふり返ってみることにしよう。

「仕事か家庭か」という二者択一の時代 
~「女性解放」第Ⅰ期

女たちは、長い間「仕事か家庭か」という二者択一の問いを、迫られてきた。男たちは誰もこの問いを迫られないのだから、考えてみれば、おかしな話なのだが、「男は仕事・女は家庭」の近代型性別役割分担の中では、「結婚したら主婦」になるのは当たりまえのこととされていた。

もちろん、結婚を避けることで、性別役割分担の罠に陥ることをまぬがれる、という「最後の手段」が女にはいつも残っていた。私の教える女子短大のクラスには、今でも毎年一人か二人、「わたし、結婚なんかしません」と突っ張る学生がいて、その悲壮な顔つきを、私はやれやれ、と眺める。彼女たちは、結婚が女にとってワナだ、というところまでは知っているが、逆に言えば、結婚とはこうあるべきだという固定したイメージで、頭ががんじがらめになってしまっているのだ。だから、結婚のなかみを変えようとは思わずに、結婚からオリることしか考えない。

「仕事か家庭か」の二者択一の時代には、仕事の場にとどまる女たちは、〈非婚〉の女たち――未婚の若い女、嫁(い)きおくれのハイミス、死別した後家さん、離別女性――つまり、結婚の外側にいる、あるいは結婚からはみ出した女たちで、「働かなければ食べていけない、かわいそうな女たち」だった。

職業婦人といえば、すぐに、やせぎすでヒステリー気味のハイミスというステレオタイプのイメージがついてまわった。「おおこわ、また欲求不満のオバサンのヒステリーだぜ」という揶揄(やゆ)を避けるために、職場のベテラン女性社員は、声を荒げることにさえ、気を使わなければならなかった。職場に居すわる女たちは、ブスで色気のない、男にもてない嫁かず後家と陰口をたたかれたが、事実、男社会である職場でがんばってきた先輩キャリアウーマンたちは、自分の女らしさを圧し殺してきたと言える。

男まさりのキャリアウーマンと言われる人々は、結婚・家庭・子どもをあきらめ、女らしさを犠牲にして、男社会に伍してきた。いま五十代から六十代、戦後の混乱期に男女共学教育の洗礼を浴びて職場に進出し、まっしぐらに駆け抜けてきたあと、功成り名遂げて、さまざまな企業で「初の女性重役」の地位にたどり着いたキャリアウーマンのパイオニアたちの多くは、このタイプ――独身か若くして後家さんになった人たちだ。