”政治の装置”でもあった鶴岡八幡宮
源頼朝がこの地に八幡宮を移したのは1180年。ただし重要なのは“創建”ではなく“再編”だということ。
もともと源氏の氏神だった八幡信仰を、鎌倉という新しい政治都市の中心に据えることで、「ここが新しい権力の中心だ」と示した。つまりこの場所は、宗教施設であると同時に“政治の装置”でもあるわけです。
それを象徴する一つが、由比ヶ浜から一直線に伸びる若宮大路。
その延長線上に八幡宮が配置されている構造は京都の都城構造を思わせるものですが、決定的に違うのは“天皇ではなく武士の権力へと軸が向かう”点。頼朝が、京都の仕組みを借りながら主役を入れ替えた、といった指摘は非常に興味深いものでした。
「大銀杏の影より現れた公暁が将軍・実朝を襲撃」との逸話で有名な大階段でしたが、それが実際にありえたかどうかなど、現場を目の前にしながら解説は続きます。
続いて訪れたのは鎌倉国宝館。
(写真:婦人公論.jp編集部)
ここでの展示の中でも特に印象的なのは、運慶・快慶に代表される“慶派仏”の仏像です。筋肉の表現や量感のある体躯などは、いわゆる「鎌倉的リアリズム」であり、「現実」「力」「緊張感」を感じさせる造形は、まさに武士の時代の美意識そのものと言えそうです。
