「私が『こうするよ、いいね』と言った時に母がうなずいたのは、本人の意思だったと言えるのだろうか。正直なところ、自信がないですね。」

 

ただ、親のいるところで親のものを片づけるのは、しんどい部分もありました。時間がないということもあって、片づけ始めるとスイッチが入り、どんどん「捨てまくれ!」ってモードで突き進みたくなります。

ノリにノッて、これはゴミ、これはリサイクル、私がもらう……と仕分けている最中に、たとえば死んだ父の靴が出てくる。明らかに母がとっておいたものだとわかるから、これは母に聞かなきゃなあって、靴一足のために渋々作業を中断するわけです。母は案の定、大阪に持って行って姉の夫にあげるとか言い出します。絶対使うわけないじゃん、としばし押し問答になる(笑)。その繰り返しで、クタクタになりました。

母は最初、「私の服を人になんかあげない」と言い張っていたのですが、私の友人が古着を集めて必要な人や施設に送るチャリティ活動をしていると話したら、なんとか納得してくれて。段ボール箱7、8個分は、寄付という形で手放させました。それでも正直、氷山の一角だったのですが(笑)。

寄付もできない傷んだものは「ボタンが取れてて着られないでしょ」「私もお姉ちゃんも着ないよ」と、かなり強引にゴミ袋に放り込みました。母は「何でもかんでも捨てろ捨てろって言われるとつらい」とこぼしていましたが、なだめすかして諦めさせた感じです。

 

母がうなずいたのは本人の意思だったのか

ただ、あの時は私も無我夢中でしたが、今考えると母は普通の状態ではなかった。少し前に担当医から「余命1年」と告げられ、私が会いに行っても口数は少なく、「ガチガチに閉じた」状態だったのです。本人のショックは計り知れず、一見冷静に見えて一種のうつ状態だったのだろうと、今なら想像できます。

そういう状態の人が、実家のものを全部運ぶことがどれほど大変で現実的ではないか、きちんと理解していたのか。そして、私主導であんなに勢いよく服を仕分けて、果たしてよかったのだろうか。私が「こうするよ、いいね」と言った時に母がうなずいたのは、本人の意思だったと言えるのだろうか。正直なところ、自信がないですね。

今まで好きだったことも――母の場合はオシャレをすることだと思うのですが、うつになると興味が持てなくなるそうですし。小さな後悔とはいえ、ずっと胸の中に消えずにあります。

やっぱり実家って、親が生きているうちは親のものだと思うんです。子どもとはいえ、他人の家に介入しているのと同じことになる。わが家の場合は親の残り時間から、ほかの方法はなかったと思いますが。

ちなみに片づけの結末はというと、3日経って私が札幌に帰った後、残った姉は母の願いを基本的に聞き入れ、ほとんどの家具と荷物を母の新居に運び込みました。しばらくして大阪を訪ねると、驚いたことに大きなタンスやソファ、家族5人で使っていた舶来のダイニングテーブルまでが、そこそこうまく収まっていたのです。何ならちょっとステキな、もの多めのモデルルームみたいになっていた(笑)。いやもう、やっぱり母には勝てませんね。