新聞は「石炭飢餓」などと書き立てるようになった。労働者徴用の解除による炭鉱生産力の激減が石炭不足を引き起こしていたからだ。迎えたばかりの冬に暖が取れないだけでなく、鉄道の減便により食料輸送が滞り、また工業用品や日用品、味噌や醤油など加工食品の生産にも支障をきたしはじめた。
 BC級戦犯 の裁判も始まった。行き場のないまま路上で暮らす孤児や復員者が激増し、警察は「狩り込み」と呼ばれる強制収容を行った。
 帝国議会は婦人に参政権を与える法案を可決した。復員や買い出しの乗客が詰めかけた東  京山手線の列車は文字通り殺人的な混雑となり、母に背負われた乳児が圧死した。母が過失致死で逮捕されると、責められるべきは混雑を解消しなかった鉄道運営者か、託児所を用意できなかった社会ではないか、と異論が巻き起こった。
 こうして終戦の年が終わる。九月からの四か月間で三七件の触雷事故が発生し、一八隻が沈没し、一隻が大破した。
 明けて昭和二一年の元日、天皇は「現人神は架空の観念である」との勅語を発した。その影響か、あるいは石炭不足で列車が動かないからか、神社への初詣客は極端に少なかった。 明治神宮などは例年の一割にも満たない人出となった。
 GHQは、禁止していた国旗の掲揚を元日、三日、五日のみ許可した。寒風吹きすさぶ街にぽつぽつと日の丸の旗が翻ったが、物資不足は深刻さを増していた。ほとんどの家では門松どころか餅すら用意できなかった。
 自らの神性を否定したばかりの天皇は、二月から国内各地への巡幸をはじめる。人間の姿と声で国民に親しく接する姿は、行く先々で熱烈に歓迎された。巡幸先の道は入念に清掃され、口の悪い者は天皇を箒(ほうき)などと呼んだ。
 伝染病が流行した。粉末殺虫剤DDTの強制散布が始まり、国民は出歩くだけで白い粉まみれとなった。婦人警察官が採用され、戦後初の総選挙では三九名の婦人代議士が生まれた。
 掃海課では新たな機雷自滅期時期を勘案した総合掃海計画が完成し、ただちに実施に移した。ただしアメリカ側から都度つど指示が下りてくるから、そのたびに総合掃海計画は紙の上で修正を強いられ、海の上では各掃海隊をあちこちに動かさねばならなかった。
 並行して試航船の準備も進められた。波木第二復員官に隊指揮官の辞令が下り、四隻の商船が試航船への改装のためドッグに入った。人員は商船時代のままとして早急な稼働を目指したが、各船で拒否やサボタージュが続出する。
 戦時中、海上輸送に徴用された民間の船員  は軍人の倍ほどの死亡率を記録した。商 船員からすれば、平和となったいまさら「お国のため」なる理由で死にたくはなく、徴用したのに商船員を守らなかった旧軍への憎しみも深い。当然といえば当然だった。
 波木は自ら出向いて説得し、なんとか試航船隊を稼働状態に持っていった。ただし一般乗員の公募を始めると、新聞に「一万円で命買います」などと悪辣な見出しで報道された。
 アメリカ側も日本掃海隊をこき使うばかりではなかった。旧帝国海軍が敷設した機雷のうち公海にある七五〇〇個弱はアメリカが掃海を担当し、朝鮮半島沖の機雷は日米合同で処理した。試航船の訓練には熱心な態度で立ち会い、掃海課との折衝も、おおむねは友好的な態度を維持した。
 ただし、磁気機雷の自滅期限を昭和二五年の八月へとさらに訂正する通知も掃海課に寄こしてきた。
 友好と横暴を自在に使い分けるアメリカ側の態度に、もう松原は慣れていた。複雑な気分に駆られたのは掃海のためではない。公用での外出のさなか、中途半端にできた暇をつぶしたくて入った映画館でニュース映画を見たからだった。
「“海の戦犯人”解体」
 映画はそのような見出しで始まっていた。
 空襲で損傷したまま呉の港に残っていた戦艦「伊勢」「榛名」、空母「天城」「龍鳳」、また巨大なドッグを埋め尽くすほど量産された小さな特殊潜航艇が、次々に解体されてゆく。ナレーションでも「海の戦争犯罪者」などと説明していた。
 松原は、自衛の戦力すら持たない国家などやはり夢物語としか思えない。
だが海であれ陸であれ、いまの国民は軍隊と聞けば憎しみを覚える。その感情は、変わり者と思われがちな松原にも痛いほど理解できる。
「夢か」
 娯楽を求める観客が充満する映画館で肩をすぼめながら、松原は小さく声に出した。
 自分は小知恵が回る、というささやかな自負が松原にはある。現実を受けての最適解なら、瞬きのほどの間も置かずに思いつく。だが、希望する将来という意味での夢など、ついぞ思い描いたことがない。とどのつまり、これまでの松原は現実に振り回されていただけだった。
「ひょっとして俺は、ずいぶん詰まらぬ人間なのではないか」
 ニュース映画が終わり、観客たちはあれこれと言い合いながら席を立つ。松原はひとり、 自嘲をもてあそんでいた。
 夏のはじめ、第二復員省が廃止される。旧掃海課は課名そのままで復員庁に移り、旧海軍の業務を所管する第二復員局の総務部にスライドした。掃海は着々と進み、夏が終わるころには旧帝国海軍が敷設した係維機雷の掃海が完了した。
 ここで米国側の指示により人員整理が行われ、掃海再興時に一万人いた従事者は半減以下の四五〇〇人強となった。それまでに掃海隊は犠牲四〇名以上、触雷沈没一二隻の損害を出していた。                              〈つづく〉

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