
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!
その年、昭和二一年の一一月。新憲法が公布される。日本は国民が主権者となり、また自国の交戦権を認めない国となった。
数日後、松原は村上課長に呼ばれた。場所は人聞きをはばかる話のときに使われる、庁内応接室である。
「きみ、以前に海軍再建を言っていたろう」
「はい」
松原が学童みたいな返事をすると、村上は苦笑した。
「いまも持論は変わらぬか」
「変わりません。公職追放のご時世ですから最近は黙っていましたが。かててくわえて、新憲法のおかげでなおのこと、口にできなくなりました」
日本を民主的な平和国 にするため軍国主義者を公職から放逐する、という建前で、すでに去年、警察関係者四八〇〇人が罷免されている。続いて今年の一月、GHQは追放対象者を広げる指令を出した。戦争犯罪人、旧職業軍人、右翼人脈、かつてあった大政翼賛会の有力者などが新たな対象者となった。政界ではほとんどの人が大政翼賛会に関係しており、内閣は五人の閣僚を更迭するしかなかった。
掃海課も各掃海隊も、基幹の職員はみな海軍の旧職業軍人だった。復員か非軍事化に従事している対象者は日本政府から留任を許可されたが、掃海の要員は段階的に減らされている。
「黙っていたなら、よろしい」
村上課長は胸から自分の名刺を抜き出し、裏に何かを書き加えてから松原に渡した。
「私は課長のお名前をとっくに存じていますが」
「今晩八時、そこに書いた店へ行け。なんの用かは行けば分かる」
「店ですか。このご時世、うまい飯が食える店などあるのですか。あいにく外食券は使い切ってしまったのですが」
「券はいらん。ただし安酒と突き出しくらいしか出ないだろうな。戦中までは海軍省内で知られた洋食店だったが」
「私もいちおう海軍省にいたのですが、知らない店です」
「きみはもっと人間関係を広げる努力をしたまえ」
夜、松原は言われた通り銀座の一角へ出向いた。地下へ降りてドアを開ける。薄暗い店内で松原を出迎えたのはボーイではなく、角ばった顔をした背広姿の男だった。
「誰か」
不審者を見とがめた歩哨が銃を向けて誰何(すいか)するような剣呑な声にひるまず、松原は村上の名刺を差し出した。男は名刺をしげしげと眺め、「村上さんの代理か」と尋ねてくる。
「たぶん、そうだ。私は復員庁第二復員局の松原という」
「第二復員局ということは、もと海軍士官か」
「最終階級は少佐。だいたいは機雷まわりの部署にいて、いまも村上課長の下で掃海をやっている」
男は松原の顔をいぶかしげに覗き込んだ。
「貴様の顔は知らんが、まあ、俺はずっと外地にいたからな。村上さんの名刺があるなら、怪しい者ではないのだろう」
「なんなら明日、掃海課に来てくれたらよい。しおらしく働く俺がいる」
松原が言うと、男は親しさのかけらもない動きで手を差し出してきた。
「俺は内海(うつみ)。貴様と同じ少佐だった。南方で終戦を迎え、いまは公職追放で無職だ。貴様、今日が何の会合か村上さんから聞いているか」
「いや、それがさっぱり」
ずい、と内海が四角い顔を近づけてきた。
「海軍再建の議論だ」
さすがに驚く松原を尻目に、内海は「ついてこい」と奥へ向かって歩き出した。個室に入ると円卓があり、背広や和服姿の男性ばかり五人ほどがすでに座っている。
「第二復員庁の松原氏であります。同庁村上課長の代理で参ったとのことです」
五つのうなずきが返ってくる。松原はそっと椅子に着いた。内海は門番のごとくドアの脇に直立する。しばらくするとボーイがウイスキー・ソーダのグラスを、着席した人数分だけ置いていった。突き出しは出ないのか、と松原は恨めしく思った。
