断定表現を繰り返す『吾輩は猫である』の効果

かの有名な夏目漱石の小説『吾輩は猫である』は、主人公とも言える「吾輩」の主張が「である」を文末表現に据えた短文を繰り返していることでも有名です。

断定表現を積み重ねることによって、より「吾輩」の考え、趣味・嗜好が読者に明確に伝わっていると思うのは私だけでしょうか。

「……だ」「……である」で終わる文は、推量表現の「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」、そんな曖昧さとは違います。読者にはっきりと、物語の内容を頭の中に思い描かせてくれる、そんな役割をもっているのです。

世の中の出来事は何事も、断定できることのほうが少ないのではないかと個人的には思いますし、トラブルを避けるためにも、断定表現が避けられることもあるようです。

だからこそ、断定されている箇所は、それ相応の書き手の想いの乗った「主張」であるということになるでしょう。

<『東大合格者が身につけた 一生使える「読み方スキル」』より>

※本稿は、『東大合格者が身につけた 一生使える「読み方スキル」』(東洋経済新報社)の一部を再編集したものです。

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