写真提供:『愛し、愛され。』(毒蝮三太夫、玉袋筋太郎:著/KADOKAWA/撮影:榎本壯三)

 

玉袋 そんなスタンスで番組づくりをしているうちに、それがスタンダードな考えになっていって、過剰にコンプライアンスを気にするようになっていくというわけですよね。

そして、その考えが広まっていくうちに、視聴者サイド、消費者サイドも「それはコンプライアンス的に問題があると思うぞ!」とモンスタークレーマー化していく。

毒蝮 そうだよ。ラジオ局、テレビ局としてはスポンサーに気遣いをしつつも、同時に視聴者の顔色も窺う必要が出てくる。そうなると、コンプライアンスを無視したタレントは使われなくなっていくよな。

だからタレントとしては無難な発言、ふるまいに終始してしまう。制作者サイドとしては、「代わりなんかいくらでもいる」って考えているんじゃないか? 

これは別に批判とかではなくてさ、例えばいまのお笑い界の中心にある吉本興業だって、「いくらでも代わりはいますよ」と、まるで工場のように芸人を大量生産しているよな? まぁ、それだけの育成ができるという裏返しでもあるわけだけどさ。

ただ、むかしは一度起用したら、「番組と一緒にこのタレントを一流に育てよう」といって、命懸けでタレントを守るようなプロデューサーがたくさんいたもんだよ。でも、いまはそんなプロデューサーは皆無だよな。それじゃあ、「色」のある番組づくりはできないよ。

玉袋 「色のある番組」か……。確かにいまは無色透明、無味無臭な番組、タレントが多くなりましたよね。当事者である俺が他人事のようにいう資格はないにせよ、一視聴者として見た場合は、本当に個性的で、いわゆる毒がある番組は絶滅状態にありますね。