苦しめた相手に強い憎しみを抱く

敬意を示すというよりは、これまで散々自分を苦しめてきた浅井・朝倉を滅ぼし、3人の首を前に新年を寿ぐことができて嬉しいといった気分だったのでしょう。

信長は自分を苦しめた相手に対しては敬意というより、激しい憎しみを抱き続けていることが『信長公記』の他の記述からもわかります。

例えば比叡山延暦寺の焼き討ちに関しても、浅井・朝倉に加勢した恨みや鬱憤を晴らすという意味合いがありました。

また、浅井長政の年少の子息を関ヶ原にて磔にしたのも「年来の御無念」を晴らすためだったともされます。