「パンドラの箱」の中身をのぞいてしまった
「椿井文書」とは、山城国相楽郡椿井村(京都府木津川市)出身の椿井政隆(まさたか1770-1837)が、依頼者の求めに応じて偽作した文書を総称したものである。
筆者が「椿井文書」の存在に気づいたのは、2003年の終わりごろだったと思う。大阪府枚方市(ひらかたし)の市史担当部署で非常勤職員としてつとめはじめ、1年あまりが経過したころであった。
きっかけは、津田城という枚方市を代表する山城の歴史を簡単にまとめてほしいという依頼にあった。調べていくうちに、津田城は中世の城ではなく、近世に津田村の村人が創作した由緒に起源があると気づいた。その由緒とはかつて津田山の山頂に津田村出身の津田氏の城があったというもので、そのことによって津田山の支配権が中世にまで遡ることを主張しようとしたのである。
さらに調査を進めると、津田村と敵対していた穂谷村では、それに対抗して新たな主張を展開したことも浮かび上がってきた。すなわち、それ以前の古代に、朝廷に氷を納める氷室が存在した穂谷村こそがこの地域の本来の中心で、津田山の支配権も自村にあるという主張である。
『枚方市史』には、穂谷村に所在する三之宮神社の所蔵文書が掲載されており、そのなかにかつて氷室が存在したと記されている。これらの古文書が実際に作成されたのは近世だが、中世史料編に含まれているので、『枚方市史』では偽文書とは認識されていないことになる。
この三之宮神社文書の入手経路を調べてみると、原蔵者として椿井政隆の名前が浮上してきた。三之宮神社文書が椿井政隆作成の偽文書であることも明確となった。
それからも椿井政隆の存在が気になって、穂谷村と隣接する南山城地域の自治体史もめくり続けてみると、似たような内容の古文書が次から次に見つかった。しかも、いずれも正しい中世史料として掲載されているのである。
見慣れてくると嗅覚は冴えるもので、同様のものを拾い続けては隣の自治体史へ、そしてさらにその隣へと順に目を通していくと、気づけば滋賀県まで辿り着いていた。このときの「パンドラの箱」の中身をのぞいてしまった感覚は、今でも鮮明に覚えている。