中世の地図、城の絵図、家系図……学校の教材や地域の町おこしに使われる史料が、全くの偽物だったら? 近畿地方に数百点もの規模で存在する、江戸時代の偽文書「椿井文書(つばいもんじょ)」。それらは誰によって作られ、私たちにどのような影響があるのだろうか。15年以上前から「椿井文書」に着目し、研究を続けてきた馬部隆弘准教授によると、最近になってやっとスポットが当たり、研究も注目されるようになったという
※本稿は、『椿井文書――日本最大級の偽文書』(馬部隆弘・著/中公新書)の一部を、再編集したものです
※本稿は、『椿井文書――日本最大級の偽文書』(馬部隆弘・著/中公新書)の一部を、再編集したものです
研究者が当たり前のように使っている「椿井文書」
江戸時代の偽文書(ぎもんじょ)と聞いて何を思い浮かべるだろうか。うさんくさいと思う人もいるだろう。現代でいうところの有印公(私)文書偽造という犯罪を思い浮かべる人もいるかもしれない。いずれにしても過去のことなので、自分とは直接関係ないと考えている人が大多数に違いない。ところが、知らず知らずのうちに現在に影響している江戸時代の偽文書も存在するのである。
古文書学に基づいて偽文書を排除し、真正な古文書から過去の姿を復原していくのが歴史学の基本である。この作業が幾重にも積み重ねられてきた現在の歴史学においては、荒唐無稽な内容の、明らかに偽作されたものは命脈を保てない。
もちろん、そのようなものに真実を求めようとする一般の方々はいるものの、少なくとも研究の世界では、この手の偽作はほぼ壊滅状態にあると歴史学者の大半は思っているに違いない。かくいう筆者も、27歳になるまではそう信じていた。
ところが、今世紀に入っても、多数の研究者が当たり前のように使っている偽文書が存在したのである。それが「椿井文書」である。しかも、近畿一円に数百点もの数が分布しているというだけでなく、現代に至っても活用されているという点で他に類をみない存在といえる。分布の範囲やその数、そして研究者の信用を獲得した数のいずれにおいても、日本最大級の偽文書といっても過言ではないと思われる。