イラスト:川原瑞丸

 

ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。当代きっての講談師の昇進襲名披露パーティーで、スーさんの目に映ったのは(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

スターの視線の先

いま最もチケットが取れない講談師として名高い神田松之丞さんが真打に昇進し、同時に六代目神田伯山(はくざん)を襲名した。なんともめでたい話だ。

私はTBSラジオを通し、松之丞さん改め伯山先生(講談では真打になると師匠ではなく先生と呼ぶようになるらしい)とご縁がある。ご近所ということもあり、ご家族とも仲良しだ。

ご縁のおかげで昇進襲名披露パーティーにも招いていただいたので、僭越ながら参加することにした。これを逃したら、こんなチャンスは二度とないだろう。まるで勝手がわからずドキドキする。

インターネットで「襲名披露ご祝儀」など下衆なことを一通り検索し、なるほど結婚披露宴のようなものだろうと理解した。きちんとした服を着て、お祝いを持っていけば、大きな失敗はなさそう。

当日はこれ以上ない晴天に恵まれ、お天道様も伯山先生の門出を祝っているようだった。パーティーには各界の、特に寄席文化を支える演芸界の大御所たちが集結し、彼らの醸すオーラで、老舗ホテルの大宴会場は温かく華やかな空気に満ち満ちていた。

ほどなくして、伯山先生が入場。結婚式なら新郎新婦の二人で登場する場面だが、前後を従者に護られ、伯山先生はひとりテーブルの間を練り歩く。その姿を前方に認めた瞬間、私は思わず涙ぐんでしまった。慶事を寿(ことほ)ぐ気持ちがあふれたからではない。

もちろん、心からおめでとうと思ってはいる。けれど、昔は誰もが同じような赤ん坊で、同じようなものを食べ、眠り、排せつを繰り返して生きてきたというのに、どうしてこんなに大きな大きな荷物を、たったひとりに背負わせるのかと、華やかな場とは裏腹に、松之丞時代と変わらぬ猫背で歩く、それでいて覚悟の決まった彼の顔に心が揺さぶられてしまったのだ。

スターって、こうやって作られていくのだろう。人の手で形式を作り、白羽の矢が立った人間を舞台に上げ、大切に名を継承していく。それこそが、伝統文化と呼ばれるものの特性かもしれない。長い歴史に組み込まれた選ばれし者の双肩には、我々には想像もできない重さの責務が乗っかっている。

伝統芸能だけではない。株式会社の重役だって、家族だってそうだ。社長も父も母も、初めからそうだった人はいない。誰もがどこかで、襲名しているのだ。役を担うって、皆の期待を一身に背負うってこと。私はそこから逃げ回っているけれど。

宴の途中、舞台袖にひとりたたずむ伯山先生を見つけた。近寄って労(ねぎら)いの言葉をかけたところ、本人はまるで他人事といった風情だった。この人が自己顕示に鼻の穴を膨らませることはないとは思っていたが、ここまで平常心でいられるとも思っていなかった。ちょっとくらい浮ついたっていいのに。

人懐っこいとは言えぬ伯山先生の目は、もっともっと先を見ているのだろう。講談を多くの人に広めることを、なによりの目標にしている男だ。講談は、彼の生きる理由だ。社会と彼を繫ぐ命綱だ。

ゴールのない道を走る人というのがいる。神田伯山先生もそのひとり。彼のロードマップは、彼にしか見えていない。


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