取材の最終日。庶民的な街にある中園の仕事場を訪ねた。自宅マンションと同じ階にある室内は、華やかな脚本家のイメージと違って、意外なほど簡素である。ここが中園にとっての主戦場なのだ。集中するまで香をたいて雰囲気を作るという。「倉本聰さんもそうするとおっしゃっていた。気分を上げるために、パソコンの横にお札を積み上げる時もあります(笑)」。

中園の執筆スタイルは独特だ。

「頭の中に小さなスクリーンがあって、登場人物たちがありありと動き出してくれるのを、ひたすら待つんです。本当は憑依してくれたらありがたいとさえ思う。私はセリフを全部、大きな声で喋りながら書くので、他人が見たらさぞ気味が悪いと思います。今は『あいがとさげもす』とか、薩摩弁が飛びかっていますね。大門の時は立ち上がって『いたしません!』とかやっていました(笑)」

書く時はすっぴんでジャージ姿。締め切りに追われると「一心不乱で、数日間、外出せず。風呂好きなのに何日か入浴しないこともある」と言い、まさに阿修羅のごとくである。

あまりにはかどらない時はプールに出かけ、「バタフライで1時間半ほど泳ぎ、鬱々とした気分を脱ぎ捨てる」。聞くほどに凄まじいありさまに、子育ての時期はさぞ大変だったのでは、と問うた。

「小さいころは『カッカ(母親をそう呼んだ)、仕事ばっかして!』と、何度も泣きつかれたことがあります。そのたびに『カッカはね、これをやらないとごはんを食べられないんだよ』と言い聞かせました。男の子だし、思わず手が出たこともあります。でも、思春期にグレないでいてくれたのは、いい親友たちに囲まれたお陰で、彼らには感謝しています。感情的な私に対して、息子のほうがずっと大人ですね」

その息子も、社会人となった。今後、書きたいものはと尋ねてみる。

「……人生って、ふとケモノ道に入り込んでしまうことがある。でもその先には必ずよいことがあると信じて生きる、これからもそんな女や男を書き続けたいと思っている」

それは中園自身が辿ってきた、茨を踏んだ道でもあるのだろう。

「でも、私は世相を反映した社会派ドラマを書きたいわけじゃない。疲れて家に帰って来た人たちが、大いに笑ってスッキリして、明日も頑張ろうと思ってくれたら。人に喜ばれたい、その一心です。ものすごく苦しい作業ですが、折々に、私が書くしかないじゃないかっていう、血が騒ぐテーマにぶつかってしまう。そしてやるからには、ひたすら命を削るように書くだけです」

ある時、脚本に人生を捧げると決めた、中園の矜持だろう。

インタビューを終えて、中園の行きつけである近くのスナックで飲んだ。薩摩女だという着物姿の年輩ママとは、長いつき合いだそうで、テンポのよい気心の知れた会話が、セリフのように面白い。

「今も恋愛中ですよ、私。出逢うべき人とは、早い、遅いでなく出逢うべき時に逢ってしまう。どうしようもないものなんです。恋愛をしていないと高揚感がなくて、書くエネルギーが湧いてこないです」

執筆に追われる束の間の自由を味わうように、ウイスキーのグラスを重ねる。ほろ酔い口調でつぶやいた言葉に、鉄火肌の中園らしい趣があった。

「何年経っても人生って繰り返しよね。簡単に上がりとはいかない」