20代。向田邦子に会うために、向田の妹が営む「ままや」に通いつめ、1杯のビールで粘っていた(写真提供:中園さん)

未婚の母の覚悟を息子に問われて

その2年後、『ニュータウン仮分署』(テレビ朝日系)で、脚本家としてデビュー。これまでの人生や恋愛経験が、心を突くような苦しくせつないセリフを生み出し、中園はヒットメーカーとなって多忙をきわめた。

「でも、実のところ私はすごく怠惰で迷うし、怖がりの面もあるんです。だから連続ドラマは重責で引き受けなかった。単発ものでも、もう書けないと、途中で投げ出したこともある。恋人と温泉に逃避行しました」

だが、そんな中園に人生で最大の岐路が訪れる。33歳の時、お腹に命が宿ったことを知った。「結婚できる相手ではありませんでした」。行きも帰りもわからぬ分水嶺に、ひとり立った。

「数日間、寝ずに考え抜いて、産むと決意しました」

翌年、臨月まで仕事をした中園は、聖路加国際病院で男児を出産。名を周作とつけた。

「助産師さんが(赤子の)体をきれいにして連れて来てくれた、その時、息子と目が合ったんです。『大丈夫か?』と問われた気がしました」

それは脚本家としての人生を、覚悟した瞬間だったろう。

「仕事から二度と逃げたりしない。この子を餓死させるわけにはいかない。息子が私を一人前にしてくれたんです。悩み抜いたけど、あの時未婚で産んだことは、最良の選択だったと思います。私に夫がいたらもう書いていないかもしれないし、今の人生はなかった」

産後、半年の休みをとり、その後、書き上げたものがシングル・マザーをヒロインにした『For You』(フジテレビ系)であり、ヒット作となった。この時、中園の身上からヒロイン像を提言してくれたのが、現フジテレビ取締役で、当時プロデューサーだった石原隆である。その後も石原とは『やまとなでしこ』で組み、メガヒットを生む。石原は言う。

「女性の脚本家は“思い”で書く人が多いのですが、中園さんは非常に論理的。最初パズルを組み立てるように構築して、そこに人物たちの血を注いでいくんです」

惚れた男を追い求める、強い女性性を抱えながら、仕事ではロジカル。この相反が、中園の創作者としての魅力だろうか。石原はこう続けた。

「打ち合わせでは、こちらが断片的に話すことを即座に把握してくれる、頭のよさと豊かな感性があって、そういう人は少ない。セリフにはもう天才的なものがありますね。性格は底抜けに明るくて男前。昔、部活をやっていた仲間みたいな感じです。でもどこか静かというか、不思議なバランスの方ですね」