校長に直談判し、医学校へ入学

瑞は長谷川泰の顔を知らないので、校門に立ち、校長らしい立派な風采の人物がやってくるのをひたすら待ちました。

4日目の朝、いかにも風采の上がらない男から、「毎日ここに立っておいでだが、誰か待つ人でもあるのですか」と声を掛けられます。それが長谷川泰でした。瑞は、医術開業試験が女子に開放されたのだから、医学校も女子を受け入れるべきだと訴え、入学を認められます。

このことは、吟子と久野が特別に医学校への入学を許されたこととは意味合いが異なります。済生学舎がまったくツテのない瑞の入学を認めたのは、以後、女子の入学を拒まないということを意味したからです。

16年後、済生学舎は女子学生を締め出すのですが、それまでに400人以上の女子学生が同校で学び、100人近い女医が誕生しました。その中の1人である吉岡弥生が、東京女医学校(現東京女子医科大学)を創設したことを思えば、瑞が女医の一般化にどれほど貢献したかがわかります。

瑞自身にはそうした気負いはなく、ただ自分が学びたい一心で入学を果たしたにすぎなかったのですが。このとき、32歳でした。

『明治を生きた男装の女医-高橋瑞物語』(田中ひかる:著/中央公論新社)

 

布団を売り払い、聴診器を買う

吟子や久野もそうでしたが、瑞も男ばかりの医学校で壮絶な嫌がらせを受けます。しかしずっと医学を学びたかった瑞にとってそれは、取るに足らないことでした。

彼女にとって深刻だったのは、貧困です。明け方まで裁縫の内職をし、一睡もしないまま早朝4時に下宿を出て医学校へ向かうことも珍しくありませんでした。食費を浮かすため、炒った豆を持ち歩き、空腹をしのぎました。

学費を節約するため、瑞は入学から4カ月後には「医術開業試験」の前期試験(基礎科目)に挑み、合格を果たします。

後期試験(臨床科目と実地)を受験するためには、病院での実習が必要であり、済世学舎の学生たちは「順天堂医院」で実習を受けることができたのですが、これもまた男子学生に限られていました。

瑞は順天堂医院へ出かけ、またもや直談判し、実習を許されます。院長は瑞の経済状態を知り、実習代を免除してくれましたが、入学金は支払わねばならず、瑞は布団を売って金策します。夜通しの内職や勉強で、まともに布団で眠ることなどなかったので、ためらいはありませんでした。

このことを知った院長は、驚いて入学金を返してくれたのですが、瑞は布団を買い戻すことはせず、「こっちの方が役に立つ」と言って、以前から欲しかった聴診器を買ったのでした。