私にとっての「ちゃんと生きる」とは
祖父が40歳の若さで亡くなったこともあり、「とりあえず40歳までは生きろ」というのがわが家の家訓でした。その年齢まであと1年と迫った昨年、「40歳以降もちゃんと生きられそう」という見込みが立ったので、してもいいかなと思ったのが、結婚を決めたもうひとつの理由です。
生前、祖父は、1回離婚した後に祖母にぐいぐい言い寄って、3人も子どもをもうけたパワフルな人。父も毛布1枚だけ持って、母の元に転がり込んだとか。その血筋から考えると、40歳以降も生きられる見込みが立ったなら、私も誰かの元にぐいぐい行っちゃってもいいだろうって。
私にとって「ちゃんと生きられる」の意味は、経済的・精神的に自立して生きられるということです。ひとりで生きられないから結婚するのではなく、自分ひとりでも生きられる自信がついたから誰かと一緒にいられるようになったわけで。
「未熟な2人が力を合わせて」という形もありますが、私の場合は違います。それは幼い頃から両親に、「誰かに頼って生きていくのはダメ」と言われてきたことも、大きいかもしれません。
もちろん、男性に頼って生きていける女性はそれでいいと思います。「頼れること」はひとつの才能ですからね。でも、私にはその才能が希薄で。男性に頼れないのは、父がずっと単身赴任で、保育士として働いていた母と私の2人で、幼い頃から家事を分担してきた経験があるからかも。
おかげで、もともと家事はまめにやるほうでしたが、結婚してから「毎日、これは必ずやろう」と自分に課す家事の項目が増えて、独身時代よりも生活にメリハリがつき、健康的になったような気がします。
芸能界に入って約10年がたち、仕事の面でも、デビューした20代の頃よりは頑張れているんじゃないかと思います。これからは、新人時代にやっていたような仕事を再びやることがないように。水着でバンジージャンプや、Tバック姿で新宿の駅前に立つのは、さすがにキツイですからね(笑)。
でも、そんな過去を封印したいとは思いません。無茶をした過去をネタにして笑ってもらい、「でも、今は服を着ていますけど」って。これからはそんな姿勢で、仕事をしていけたらと思っています。