僕、17歳の時に家出をして、2年ほど一人で生活したんです。『テニミュ』への出演が発表されると、兄や姉は「“志尊”って、あなたの弟?」と聞かれたりしていたそうで、ストレスもあったと思います。けんかになることが増えてしまって……。

それで自立しなきゃと、自ら退路を断ったんです。住民票も移して、1年間は家族との連絡を一切絶ちました。末っ子の聞かん坊で一番手を焼かせた僕が勝手にいなくなり、シングルマザーだった母はすごく悲しんだみたいです。今は、「淳が突然いなくなったことで子離れができた」と言っていますけど。

あの時の自分の心情を正直に言うと、心配もされたかったんですよね。気づいてほしかった。芸能界で揉まれて悩んで苦しんでいることを家族にうまく伝えられなくて、亀裂が生まれて、こうせざるをえなかったことに。1年経って家族に再会した時は、兄からは殴られ、姉からは「二度と帰ってくるな!」と怒られ、母と祖母は大号泣。それを見て苦しくてしかたがなかったけど、自分で決めたことだし、やらなきゃと。

今はこの経験があってよかったと心から思っています。2年間、バイトをしながら学費や生活費を工面したことで家族の偉大さもわかりましたし、自分も成長できましたから。

「志尊」という珍しい名字だったからこそ頑張れたというのはありますね。だって、「志」が「尊い」んですよ。そんな名字を持つ人間がいい加減に生きていたら、だめですもん(笑)。この性格、意外ですか? 見た目のせいなのか誤解されがちですが、子供の頃から頑固で妥協しないし、すごく理屈っぽいんですよ。(笑)

 

泣きながら「あなたになりたい」

転機になったのは、18歳で『烈車戦隊トッキュウジャー』の主役に抜擢されたことです。主演という重圧も感じましたけど、何より映像の影響力の大きさを実感しました。会ったこともない人から街で声をかけられたり、「うちの息子があなたになりたいと泣きながら訴えるんです」と言われたことも。

そんなふうに思ってもらえるなんて、素敵な仕事だなと思います。でも、今の段階では正直、この道しかないとは思っていないです。今はただ、作品を通じてさまざまな経験をし、いろいろな人と出会いたいという気持ちが強いですね。