「当時は、「芸能界は怖い」というイメージしかなくて(笑)、どんなところか知るために、習い事感覚で養成所に入りました。」(撮影:小林ばく)
戦隊ヒーローからNHKの朝ドラまで、幅広い役柄に挑戦し続けている俳優・志尊淳さん。映画にドラマに引っ張りだこの25歳のこれまでと、これからは(撮影=小林ばく 構成=大西展子)

末っ子の聞かん坊で一番手を焼かせた

デビューして今年の7月で9年、養成所に入所した時から数えると10年になります。中学時代までは野球に夢中で、芸能界なんて考えたこともありませんでした。それが中学3年の終わりくらいに、原宿や渋谷を歩いていると芸能事務所からのスカウトを1回、2回と受けるようになって。それでもまだ選択肢としては考えられなかったのですが、いただく名刺が10枚、20枚と増えていくなかで、「もしかして可能性があるのかな?」と思うようになったんです。

ただ当時は、「芸能界は怖い」というイメージしかなくて(笑)、どんなところか知るために、習い事感覚で養成所に入りました。ところが、僕は何かを始めるととことん探求したくなってしまう性格で。まずは養成所の発表会で一番を目指しました。一番になれたら、「オーディション受けてきて」と言われ、合格したのがミュージカル『テニスの王子様』(以下、『テニミュ』)。15~16歳の頃です。

受かったものの、当然ながら右も左もわかりません。稽古場では、周りは役者として経験を積んだ人たちばかりで差は歴然。死に物狂いで頑張りましたけど、毎日が試練で、芝居が楽しいと思えるまでには本当に時間がかかりました。

当時は朝、スーパーでレジのバイトをしてから高校に行き、授業が終わるとすぐに稽古場に通う毎日でした。夜、帰宅して学校の宿題をした後は、家の前の路地で、イヤフォンで音楽を聴きながらダンスの練習。『テニミュ』はラケットを振り回すシーンが多くて、室内では練習できなかったんですよね。(笑)