「あの時のお客さんの笑い声、いまだに忘れられないですね。自信になった。やっと最初の「答え合わせ」ができたと感じました。」

でも、そういう感覚を面白いと思う、気の合う友だちを見つけるのも得意でした。小さい頃から人を冷静に観察して分析する癖は変わらないから、「この人、合うわ」というのがすぐわかります。だから、同じ笑いの価値観を持つ人かどうかの簡単な答え合わせは、できてはいました。

でも、そうなると、自分が面白いと思う芸人さんに認めてもらって、精度の高い「答え合わせ」がしたくなるものです。そのためには、やっぱり芸能界に入って、自分の存在を知ってもらわなあかん。

そう思った私は、大学生になると、地元のテレビ局でローカル番組のオーディションを受け、人前に出る活動を始めました。特技として披露した歌声が審査員の目にとまり、「長崎歌謡祭」というコンテストに出場する様子を番組で追ってもらったり、いろんなことをやっていましたね。

その延長線上のような感覚で、大阪のNSC(吉本総合芸能学院)にも行こうとしたんです。でも、その時は「地元でちゃんと就職してほしい」という父親の反対を受けて諦めざるをえなかった。

今思えば、それでよかったんです。まだ時期じゃなかったというか、あの頃はミーハーな気持ちのほうが強くて、どれくらい本気で芸人になりたかったのか、自分でもわからないところがありましたから。

 

覚悟を決めてNSCへ

大学卒業後は、「湯けむりサスペンスみたいな事件が起きるかも」と道後温泉で仲居の仕事をしつつ、地方のCMに出たり、企業紹介番組のレポーターなど「ローカルタレント」のような活動もしていました。

夕方の情報番組のレポーターを務めさせていただくようになると、ロケに行くたびに小ネタを盛り込んで、どうにか「笑い」をやろうと奮闘しました。でも、情報番組は情報メインで、そこにハマる面白さを出さなくちゃダメなんです。どんどん出番がカットされるようになって、自分のVTRを見るたびに、「ヤバイヤバイ、ネタもできないのに、ただひょうきんな感じでレポートしてるイタい子やと思われてたらどうしよう」と、思い悩むようになりました。

それは、かつて自分がテレビのレポーターを見て「ただテンション高いだけ……」と思っていた目線なんですよね。でも、その目線があったからこそ気づけたことがありました。面白さを認められたいなら、ちゃんとしたネタを作らないとダメだ。そして、そのネタを誰にもカットされない舞台でやって勝負したい……やっと本気で芸人になりたいと決心がついたんです。