『婦人公論』7月28日号の表紙に登場している友近さん(表紙撮影:篠山紀信)

すべての仕事をやめて、26歳の時、NSCに入りました。今度は大学生の頃とは覚悟が違います。同期は大学に行きながら通っている子や高校を卒業してすぐの子がほとんど。みんな生活があるからバイトもしないといけなくて、ネタを作る時間がない。私はそれを見越してお金を貯めて入学していましたから、3日に1回というハイペースで新ネタを作り、授業中、みんなの前で発表し続けました。

今、振り返っても、ものすごく集中して努力した1年だったと思います。でも生み出し続ける苦しさより、思いっきり面白いことを考えられる楽しさのほうがはるかに上回って、幸せな時間でしたね。

チャンスが巡ってきたのは、入学から半年間の成果を披露する「ネタ中間発表会」でした。初めてお客さんの前でやるライブで、先輩芸人や、番組スタッフも見にくるような場です。そこで私がやったスナックのママのネタが、バッファロー吾郎さんのラジオ番組のスタッフの目にとまり、レポーターとして入れてくださったんです。

バッファロー吾郎さんといえば、「この先輩芸人さんにネタを見てもらいたい。評価してもらいたい」と願っていた筆頭の存在でした。そこで、Vシネマ『ミナミの帝王』に出てくる萬田銀次郎の秘書役を演じた、竹井みどりさんのモノマネを、セリフや言葉のイントネーションを完コピして披露したんです。すると、「目の付け所がいい!」と喜んでくださって、すぐにバッファローさんが主催するライブにも呼んでくださいました。

バッファローさんのライブには、目の肥えた、笑いに厳しいお客さんがたくさん来ることがわかっていた。だから怖い半面、大きなチャンスでもあります。するとそこでも爆笑が起きて……あの時のお客さんの笑い声、いまだに忘れられないですね。自信になった。やっと最初の「答え合わせ」ができたと感じました。

いつか私の単独ライブも、目の肥えたお客さんが集まる場にしたい。言い方を変えると、そんなお客さんに「お金を払ってもこいつのネタを見たい」と思われるような芸人になりたい。いや、ならなあかん、と思ったんです。それは私の大きな目標になりました。

目標が決まれば、そこに向かって突き進むだけです。NSCを卒業した後は正式に吉本の所属となり、その後賞レースなどにもたくさん出させていただきました。そのおかげか、東京のテレビ局からも声がかかり、わりとすぐに全国的に顔を知っていただけるようになりました。

笑いのツボは人によって違うのは当たり前、そう思っていたので、新人の頃からウケようがスベろうが、平気でしたね。かわいげないですけどね(笑)。単独ライブは定期的にやって、新ネタを増やしていきました。