「ワケありの女」に憧れて

私が芸人になりたいと思った原点は、自分の笑いの感覚をめぐる「答え合わせ」がしたかったことだと思うんです。テレビを見ていて面白いと思った芸人さんに私を認めてもらいたい、その思いに引っ張られるようにして、今いる場所にたどり着いた気がします。

小さい頃からお笑いが大好きでした。小学生の頃はちょうど漫才ブーム。たくさんやっていたお笑い番組を見ながら「いつかこの中に入りたい」と漠然と思っていたことを覚えています。

ただ、当時の私はものすごく無口で、そんなことを思っているとは誰も想像できなかったと思います。表面的にはおとなしいけど、心の内では周りの大人や同級生をじ~っと観察して、その人の笑いの価値観が自分のと同じかどうかを勝手に見極めて、一人で納得しているような変な子でした。でも、それを口に出して伝えることもしないから「何を考えてるんやろ」と親は心配していたそうです。

唯一、姉の前でだけは自分のひょうきんな部分をさらけ出していました。姉とはすごく仲がよくて、二人でよくやっていたのが即興コント。最初は皿洗いのお手伝いを並んでやりながら、花登筺(はなとこばこ)が書くドラマに出てくるような上方喜劇の「ごりょんさん」と「女中」になりきって遊んでいましたが、高校生の頃には姉に導かれて、オリジナルの設定になっていきました。

「あ~んた若いのにエライねぇ。冬でもつ~めたい水に手ぇつっこんでさぁ」と架空の方言で姉がしゃべり出すと、「大丈夫です。冷たい水には慣れてますから」と、私が小声で調子を合わせる。

これは、私が「流れ流れてたどり着いた水産工場で本名を隠して働く女」で、姉は「昔からそこで働いている地元のおばちゃん」。この設定は定番でした。姉はとにかくお笑いが好きで、いまだに姉にだけはネタの相談もするんですよ。だから、特殊な姉妹ですよね。

私は私で、中高生の頃は学校帰りに制服のまま、こう、目の焦点をぼんやりさせて一人でフラ~ッと盛り場を歩くという遊びをやっていました。大好きだった大映ドラマや2時間ドラマの影響なのか、「ワケありの女」に憧れて、すれ違う人から「この子なにか大変なことがあったのかな?」と思われたかったんです。

実際はごく普通の家庭に育って、何の「ワケ」があるわけでもないんですよ。でも自分の人生だけじゃ物足りなくて、いろんな人になりきりたかった。ちょっとヤバい奴ですね。(笑)