執筆用の原稿用紙に「遅筆堂用箋」の文字をさりげなく印刷していたという、井上ひさしさん
『ひょっこりひょうたん島』や『吉里吉里人』などを生み出した作家・井上ひさし(1934ー2010)。亡くなってから10年経った今年、作品に再度注目が集まっている。初期の名作と言われるミステリー『十二人の手紙』(1978年)は今年に入ってブレイクし、、現在10刷15万3000部に至っているのだ。当時、井上ひさしの担当編集者として、交流のあった松田哲夫さんが、知られざる一面を綴る

※本記事は、『四捨五入殺人事件』(井上ひさし、中公文庫)の解説を再構成しています

なぜ原稿のあがりがあんなに遅かったのか

井上ひさしさんというと「遅筆作家」として名高い。ご自身もそれを認めて、執筆用の原稿用紙に「遅筆堂用箋」の文字をさりげなく印刷していた。ところが、井上さんの没後に周囲の人たちのお話をうかがうと、「いやいや、書き出すと速かったよ」と揃って言う。たしかに担当編集者としておつきあいをしていたぼくも、そう感じてはいた。

井上さんは、1964年ごろから売れっ子の放送ライターの一人となり、多い月は執筆量が1500枚を超えた(「自筆年譜」による)。放送台本は小説の原稿などに比べて、文字の密度が低いとはいえ、驚異的な数字と言わざるをえない。

では、なんで原稿のあがりがあんなに遅かったのか。それは、小説、戯曲などを執筆するときには、入念な下調べ、研究がおこなわれていたからではないか。例えば、ぼくが編集していた『終末から』版「吉里吉里人」の執筆開始6ヵ月前、井上さんから準備の進み具合を伝える葉書が届いた。その一節を書き写してみる。

「いままで読んだ参考資料は(1)現代国際法(寺沢一編)(2)三重苦の農村(近藤康男編)(3)法と言語(碧海純一)(4)科学としての法律学(川島武宜)(5)ジュリスト五冊。取材は一月四・五日の二回、東北大学法学部教授樋口陽一氏と延十二時間」

井上さんは、本気で吉里吉里独立を実現しようと考えていた。だから、研究の対象もここまで広範囲に広がっているのだ。これでは、どれだけ時間がかかってもしかたがない。でも、そのまま放っておくとこの連載は休載になってしまう。