ようやく『吉里吉里人』が出ることになりました

この「四捨五入殺人事件」がぼくの目の前に現れたのは1979年のことだった。その前の年、筑摩書房は倒産した。井上さんは、ぼくたちのことを心配してくれて、すでに新潮社から刊行することが決まっていた「四捨五入殺人事件」を筑摩で出せないか話してみる、と言ってくださった。松田→「吉里吉里人」→「四捨五入殺人事件」という連想で出てきた話だったのかもしれない。

この時、連載時のコピーを揃えて、読み込んでいった。「吉里吉里人」などに比べれば粗っぽいが、井上さんが楽しんで書いていることが伝わってきて、気持ちよく読了した。そして、もしぼくが担当させていただけるのなら、という視点で、この作品をじっくり読み直して、便箋九枚に思いを込めて感想を綴っていった。結局、この話は成立せず、「四捨五入殺人事件」は「吉里吉里人」に遅れること3年、1984年に新潮文庫オリジナルとして刊行された。

それから二十数年経って井上さんが亡くなった。その後、偲ぶ会が各地で開かれた。そのいつの会だったか定かではないが、井上さんの生原稿の管理を担当している仙台文学館副館長の赤間亜生さんが、「『四捨五入殺人事件』の原稿には、松田さんの手紙が同封保管されていますよ」と教えてくれた。

今回、「四捨五入殺人事件」の文庫解説を書くにあたって、プロットと一緒にぼくの手紙のコピーも送っていただいた。封書を開いてみると、41年前のぼくがそこにいた。井上さんに頻繁に手紙を出し続けていた20代半ばのころは、井上さんに対してタメ口で語りかけたり、作品を読んだ感想を飾ることなく「『手鎖心中』で、アッサリあの若旦那を殺しちゃうあたりも。かなり残酷な人ではないかと思ったよ」などと書き連ねていた。

それに比べると、30代前半のぼくは「お芝居でいつも見事なドンデン返しを見せてくださる井上さんならではの、とても周到に仕組まれた、面白くて、そして考えさせられる推理小説です」と褒め言葉から入って、どうしたらより面白くなるのか具体的な場面に沿って提案をしている。

とはいえ、その手紙には、「タイトルの『四捨五入』の面白味を生かすエピソードを」とか、「二重の密室を活かしたトリックを」とか「農業問題の深刻さをより鮮明にしたら」とか、「もう一つドンデン返しを」とかいろいろ書いているようだが、実はこの物語に書かれているものをなぞっているだけとも言える。それに、農業問題などを掘り下げていくと、「吉里吉里人」に似てきてしまうのではないか。

それにしても、井上さんはどうして、新鮮な発見が皆無のこんな手紙を保存しておこうと思ったのだろうか。この手紙を書いた1979年9月から2年後の81年8月、ちょっと疎遠になっていた井上さんから葉書が来た。そこには、こう記されていた。

「ようやく『吉里吉里人』が出ることになりました。生みの親の松田さんにお礼を申しあげます」

その葉書が届いたのは『吉里吉里人』の分厚い単行本が店頭に並ぶ直前のことだった。 井上さんは、「吉里吉里人」誕生前夜のぼくのしつこい手紙攻勢はじめ、さまざまなことを思い出しながら、こういう言葉をかけてくださったのだ。

どんなことがあろうとも面白くて優れた作品が世の中に旅立って行くお手伝いをしたい。そういう編集者としての一途な気持ちを受け止めてくださった。そう思っている。


騙される快感を味わって!『四捨五入殺人事件』

講演旅行の宿泊先はテレビもない山間の温泉宿。しかも折からの大雨で村に一つしかない橋が流された。孤立した二人の作家の前に起こる連続殺人。事件の背後に横たわるのは、何世代にもわたる村人の怨念か? 本格ミステリの味わいに富む、井上ひさしの巧緻。