心の浮気の方が腹が立つし、悲しいし、絶望する

法律上、不倫は配偶者以外の者と肉体関係を持ったかどうかで判断される。探偵がラブホテルの出入りを写真に納め、弁護士がそれを証拠として慰謝料の算定をする。社会のルールにおいて不倫の証明に必要なのは、いつだって性行為の有無という事実だ。

しかし、私は一般的な不倫よりも肉体関係がない心の浮気の方がよほど腹が立つし、悲しいし、絶望すると思う。

『Tシャツが乾くまで』の登場人物たちは、それぞれが配偶者には見せていない日常を持っていた。「夫に言えない話」をバイト先の店長に口癖のように話したり、夫が苦手とわかっているカボチャをこっそりカレーに入れて帰ってくる前に食べたり、秘密の相手と花火大会や水族館に行こうとチケットをとったりしていたのだ。

パートナーが毎月第3金曜日に、自分ではない他の女性とおしゃべりするのを大事な約束にしている……そんなの私だったらめちゃくちゃ嫌だ! 想像するだけで発狂しそうだ。

(写真:AdobePhotoStock)

そういった日常の些細な断片は、ホテルに入る写真のように法的に裁ける裏切りの証拠にはならない。けれど、自分の知らないところで自分以外の人との心で繋がっているなんて、肉体の裏切りよりも、ずっと残酷に感じる。

ただここで立ち止まって考えてみると、そもそも、他愛のない会話を楽しみ、誰かに愚痴をこぼし、自分の好きなものをこっそり味わうこと。それは相手が友人であれ恋人であれ、ただ一人の人間としてごく自然な営みにすぎない。

それなのに夫婦という枠組みに入った途端、それらは不倫以上に配偶者の心をえぐる裏切りへと変わってしまう。

だとしたら、不倫とはいったいなんなのだろうか。夫婦という単位に対して法律が縛れるのは肉体だけで、心まで拘束することはできないのだろうか。