心が離れている事実を突きつけられる辛さ

知人に、オンラインゲームに没頭する夫を持つ女性がいる。彼女の夫は、日中は真面目に働き、家族に対する最低限の責任は果たしているという。しかし帰宅して夕飯をとったあとや、休日の大半をオンラインゲームに費やしている。しかも、それを顔も本名も知らない広島に住む女性と一緒にプレイしているというのだ。

さらに腹立たしいことに、決して家計に余裕があるわけではないのに、夫はそのゲームに多額の課金をしていた。知人は「ゲームに課金しているというより、あの女にうちのお金を取られているような気がする」と激怒していた。

確かにそれはめっちゃムカつく。私だったら広島ごと嫌いになりそうだ。

ある時、夫がその女性と実際に会う約束をしていることが発覚した。知人はそこでついに堪忍袋の緒が切れ、夫が広島へ行くのを離婚をチラつかせてまで阻止したという。

彼女がブチ切れたのは、相手が現実の空間に現れそうになったからでもあるけれど、問題はもっと手前にあるんじゃないだろうか。毎晩、同じ家にいるのに、ヘッドセットをつけた夫が、すぐそばにいる自分よりも遠く離れた見知らぬ誰かと心を繋げているということがきっと何より辛かったんじゃないかと思う。

心の浮気とはそういうことだろうと思う。

自分以外の誰かに、自分の知らない顔を見せていること。自分には話さないその日の出来事や仕事の愚痴をこぼしていること。自分と過ごしてほしい休日の時間や、生活を支えるはずの金銭までをも捧げていること。

いっそ、一時の迷いで肉欲に負けたと言われた方がまだマシかもしれない。体の浮気であれば性欲のせいにして納得させる余地がある。しかし、精神的な繋がりを選ばれたということは、純粋にその相手とのコミュニケーションそのものを求めているわけで、心そのものが自分から離れているという事実を突きつけられる。

自分といるときより、違う誰かと話しているときのほうが息がしやすかったのではないか。そんな想像をした瞬間に湧き上がる嫉妬は、ドロドロと煮えたぎり、自分も相手も世界の全部をも溶かしてしまいそうなほどに激しく苦しいものになるだろう。

夫婦とは、日々の生活の機微や心の隙間を共有することで成り立つ関係であるはずだ。「今日こんなことがあってね」と一番最初に聞かせてほしい。面白い出来事があったとき、一番最初に思い浮かべる相手でありたい。悩みができたとき、一番最初に頼られる人でありたい。

私が欲しいのは、体ではない。心の優先順位なのだ。
 

(写真:AdobePhotoStock)