母が七十歳のときは、着てるものも動き方も姿勢も体格もこんなものじゃなかった。美容院の大きな鏡を見ると、母に似てきたと思うけど、うちの薄暗いところに置いてある鏡じゃ、あたしはあたしで、母じゃない。

鏡なら、ズンバのスタジオにも、大きいのが何面かある。

右の鏡に映ったあたしは、細く見える。他の人たちも、この鏡は細く見えると口々に言っている。でもあんまり細いから、うれしいというよりウソだろうと疑う気持ちが抑えきれない。七十年、物心ついてからは六十年、自分の見た目に複雑な気持ちを抱いてきたもんで、どうも素直になれないようだ。

左の鏡は、他の人のことはそのまま映す。つまり、あたしに見える人と、鏡に映る人は同じ。それなのにあたしが映るときにかぎっては、しわも体重も多めになって、垂れてむくんでいるように見えるのだ。

あたしは右の鏡が映すほど細くはないが、左の鏡ほど太くはないと思う。左の鏡では、おなかの周りが波打ってるようだ。白髪だらけの頭はぼうぼうと逆立ってるし、顔色は黄ばみ黒ずみ、世間や未来に対してポジティブな表情をしてない。あたしはつねにポジティブに生きていると思ってきたのに。

その上アヤ先生とは動きが違う。先生みたいに体幹が決まってないせいだ。こんなにやっててもまだまだなのだ。そして腕を広げると、二の腕といわず三の腕といわず、四の腕も五の腕も、しわだらけなんである。多少は鍛えた二頭筋や三頭筋が、しわしわの中にずっぽりと埋まっている感じである。

肺の病気だった枝元ねこちゃんがだいぶ弱ってきて、背中を丸くして肺を抱えるような姿勢で、橋懸かりを渡ってくるような足取りでそろそろと歩いていた頃だ。あたしが東京のねこちゃんちに着いたら、玄関まで来て待ち構えていたように「ねーねー」と呼んだ。「なになに」と答えると「あたしの二の腕の裏側がとうもろこしの皮みたいなんだよ、しゃーしゃーと細かいしわが寄ってるんだよ」と言った。どこまでも食べ物だなと思って、笑いながらのぞきこむと、ほんとにとうもろこしの皮みたいだった。乾いたとうもろこしの皮みたいに力無く垂れていた。