「マンガ家という生き方」とは

ヒャダ いい形での出口はありそうですけどね。今までにない形で。  

久保 どうやったらお金稼げるんだろう……。  
  
ヒャダ 『魔女の宅急便』のキキが再び飛び立つときみたい。「飛べ!」って。  

久保 でもきっと、ジジとはもう会話ができないんだよ。  

ヒャダ もう1回、飛びましょう!  
  
久保 じゃあ結局、テレビに本腰を入れるのか……でも本来、テレビに向いてる人間じゃないんですよ。  

ヒャダ 木月さん(プロデューサー)に企画を考えてもらいましょう。  

久保 そうだね。木月さんの前で「私、何でもします!」って。  

ヒャダ 「何でもします! でもあれはやりたくないです!」  
  
能町 「あれとあれとあれとあれとあれ以外なら、何でもします!」  

一同 (笑)

ヒャダ やれることが細い!

久保 お金ってどう稼げばいいんだろうね。

ヒャダ 働けばいいんです。あたりまえ体操です。  

──突き詰めると、「描くか出るか」になるんですかね。  
  
能町 私は「描く」でいいと思うんですけどね。  

久保 「描く」はつらいわけですよ。  

能町 つらいですか? だいぶやってないから、腰が重くなってるわけではなくて?  

久保 そういうのもあるけど。  

ヒャダ 「ガンガン描いてた昔の自分」と比較してしまう、というのはありますよね。  

能町 こんなこと言うのもアレですけど、昔ギャグマンガを描いてた人が、びっくりするほどゆるいエッセイマンガを描いてたりするじゃないですか。昔のイメージからすると、「こういうの描くんだな」と思うけど、でも「描き続けてはいるんだな」とも思うんですよね。  

久保 結局マンガ家さんは、マンガを描いてるだけじゃなく、「マンガ家という生き方」をしてるわけなんですよ。「自分が得たものをいかにマンガとしてアウトプットするか」という生き方を選んでる。前みたいなギャグマンガじゃない、エッセイマンガでもアウトプットする……たとえ昔のファンからどう思われようともアウトプットできるというのは、つくづくすごいことですよね。私はその、「自分のいろんな過程をマンガにしてやる」というエンジンをずっと切ってる感じなんだよね。というか、「これをマンガに活かそう」というエンジンを、1回切りたかったのよ。だからりゅうちゃんを飼ってる間は、りゅうちゃんのマンガを全然描かなかったし。私は自分の描くエッセイマンガを読み返すのがつらい方なんで、フィクションの方がいいけれども、またマンガを描くとなったら、声をかけてくれる編集さんはいるとは思うんですよ。「連載が決まってから作品を描くんじゃなくて、全部描き上げてから発表するのはどうですか?」と言ってくれる編集さんもいたんですけど……。  

能町 相撲のマンガを描きましょう! 久保さんが多少興味はあるけど、まだどっぷりというわけじゃないもの。  
  
久保 でもね……「こういうのを描いてみるのはどうですか?」という会話は、昔から編集さんとずっとしてるんですよ。だからこんな悩み相談をしておいて申し訳ないけど、他人のそういうアイデアは……(笑)。

一同 (笑)

ヒャダ それを言っちゃあ(笑)。

久保 「その人のために頑張ろう」って思うことがしんどい(笑)。自分のために生きるのもしんどい!  

ヒャダ そんなこと、もう言ってられません!  

能町 背に腹は代えられません!  

ヒャダ 自分がやれそうなギリギリのことやってください。