「娘の前にいるつかさんと、われわれの前では180度違う。おとなしく死なない人だなと思いました」

つかこうへいさんとの深い縁から

中村 大学を卒業後はニッポン放送に入社されましたよね。

 まあ完全にコネ入社ですよね(笑)。入社から4年後に退社するまでずっと編成です。編成マンなのにラジオ番組に出演させてもらったり、ちょうどバブル景気時代ですから、楽しく仕事をさせてもらいました。

劇作家のつかこうへいさんとラジオCMを作るという、それはもう得難い経験もしましたね。僕が新入社員の頃、たまたま成人の日の特別番組の中で、つかさんの『娘に語る祖国』を、本人を迎えて番組にするというのを手伝ったんです。

中村 あの本は名著ですね。

 非常に真面目ないい番組になって、打ち上げでつかさんと一緒になったのかな。そこで「先生、娘さんの国籍を決めるときに池袋に雪が降ってたって、あのシーンはいいですね」と僕が言うと、「あれは嘘だ」って言うんですよ。「俺は戯曲家だぞ。あんなところに雪は降らないよ」って。

中村 あのシーンで何度も涙していたのに、ズッコケます。(笑)

 その後、『つかこうへいラジオCM劇場』っていうのを2年間、めちゃくちゃ大変な思いもしながら担当して、なんだかわからないけど、つかさんにえらい気に入られちゃって。その後もずっと面白いお付き合いが続いたんです。

僕がホリプロの社長になったときのお祝い会では、入ってくるなり箱をバーッと投げつけて、「お祝いだ、ネクタイでもする機会はあるだろう」って。亡くなる直前、僕のところに電話がかかってきて、「一度、娘の宝塚の舞台を見てやってくれ」。

つかさんが亡くなって初めて、娘と奥さんに会って、うちで預かることになった。宝塚でトップ娘役だった愛原実花です。

中村 縁が深いですね。

 その後、つかさんの代表作である『熱海殺人事件』を、つかさんの盟友である風間杜夫、平田満、そして娘の愛原実花というキャストで上演し、これはいい供養になったなと思いました。地方公演に行ったときに、平田さんと風間さんと僕とで、つかさんから僕らがどんな被害にあったかを娘に話したんですよ。「そんなひどいことを父はしてたんでしょうか」って娘はキョトンとしてる。

中村 それだけで本が書けそうです。

 娘の前にいるつかさんと、われわれの前では180度違う。おとなしく死なない人だなと思いました。