イラスト:川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。生活を豊かにするためのテクノロジーに、あえて頼らないという矜持への疑問を投げかけます――(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

若者よ、新しい風を吹かせてくれ

少し前に、とあるメディアから新刊についての取材を受けた。ありがたいことに、記者の方は拙著を好んで読んでくれているという。おかげで話も弾み、とても楽しい時間が過ごせた。

後日、掲載された記事を読むと、間違いが数ヵ所あった。いわゆる事実誤認ってやつだ。まあ、そうなるよね……と思いつつ、修正を依頼した。

間違いには、憤りも驚きもさほどない。掲載前の原稿確認が許されない取材だったし、記者はインタビューを録音していなかったから。ウェブに転載されたものは即時修正してもらえたが、紙面のほうは後日訂正文を掲載することになると言われた。

メディアによっては、取材を受ける側の原稿確認を受け付けないところがある。明確な理由を尋ねたことはないが、提灯記事になるのを避けるためもあるだろう。確かに、政治家のインタビューや事件の証言など、公共性の高い事柄に関してはそれがいいのかもしれない。けれど、著者インタビューでは、録音も掲載前の原稿確認もなしが得策とは、私は思えない。

インタビュー中に録音が行われなかったのは、記者の怠慢ではない。これも特定のメディアではよくあること。伝統的に引き継がれる技術のようで、記者はノートに一言一句を書き留めるのが流儀。録音データに頼らないこと、書かれた記事は事前に確認させないことのふたつは、記者という職種の矜持のように思える。

だが、しかし。われわれはほとんど誰もが等しくポンコツ人間だ。メモを取り違えることも、聞き違いもある。私だってご多分に漏れずポンコツ人間だから、言い間違いもするだろう。体調にも左右されるだろうし、どうしたってヒューマンエラーはなくならない。今回のことは、原稿の事前確認が無理でも、録音さえしていれば、防げた種類の間違いだった。それが残念で仕方がない。

取材中、必死にメモを取っていた、まだ若いあの記者のことが気にかかった。訂正文をあとから出すとなると、始末書など書かされるのではないだろうか。先輩や上司から、怒られやしないだろうか。

テクノロジーがなぜ発展したかと言えば、われわれの生活をより豊かなものにするためだ。ポンコツを人力でカバーしなくても済むようにするためだ。ならば、存分に頼っていいと思う。それを甘えだとは、私は思わない。

家事なんかもそうだ。ルンバも食器洗浄乾燥機も、じゃんじゃん使えばいい。いまだこのふたつに後ろめたさを感じる人がいるが、洗濯機と掃除機はOKで、ルンバと食器洗浄乾燥機がNGな理由などない。労力を厭わぬ精神を育てることのほうが、よっぽど大変な作業ではないか。

食器洗いが趣味ならば、無理に使う必要はない。漆器には使用できないから、食器洗浄乾燥機は万能ではないし。ルンバも同様だ。しかし、テクノロジーが生活と心を楽にし、毎日を豊かにしてくれるなら、矜持なんてポイでいい。繰り返しになるが、われわれはポンコツなのだから。

件の記者が、所属するメディアに新しい風を吹かせてくれることを切に願う。テクノロジーが発展したおかげで、録音なんてスマホですぐにできるんだもの。


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