妻の喪に服す永井隆氏(長崎市永井隆記念館・所蔵)

原子が放つ放射線は強い力をもっている。ガンを治し、結核を治し、アザを消すなど、これまで不治の難病とされていたものが簡単に治されるようになった。それだけに、その使用は極めてデリケートな注意を必要とする。少しでも使用法を誤れば、かえって患者に害を加える両刃の刀である。放射線を機械まかせにして無責任に放ったらかしておいたのでは、大変な結果になる。どうしても傍についていて慎重に細心に照射をせねばならぬ。

照射をしていると、そのあたりいちめんに放射線が散乱している。その散乱線の十字砲火の中に医師も看護婦も立って患者の診療に当っているのである。もちろんナマリの前掛やつい立で防護はする。しかしどうしても完全には防ぐことはできぬ。五人や十人の患者なら大したことはないが、毎日五十人、百人という大勢をあつかうと、日々の放射線作用は蓄積して、ついに何年かの後、職業病としての原子病を起すのである。

だが、患者を救うか、それともわが身を安全に保つか、この二つのうちの一つをえらべといわれれば、医師も看護婦もためらうことなく、我を殺しても患者を救う、と答える。それは捨身為仁などという理くつではなく、医療に従うものの本能の声であろう。

 

つくすべき手段はつくして仕事を続けたが

私自身にその原子病のひとつなる白血病があらわれたのは、この学問に身を入れてから十余年たったころだった。いくらこの放射線学に犠牲がつきものだからといって、無謀にわざと危険に身をさらすが如き自殺的行為はなすべきではない。予防のためにつくすべき手段はつくして仕事を続けた。

しかし戦時中のあらゆる無理はどうしても私の肉体を害(そこな)わずにはおかなかった。相次ぐ教室員の応召による人手不足、生活水準の低下による患者の激増、それは私一人あたりに過重の負担を与えた。そして悪いことにはフィルムが無くなって、その多くの患者を、エックス線直光下に身をさらして診療せねばならぬ透視によって検査する結果となった。