私は次第に弱ってきた。段々働けなくなってきた。階段を上るときには人の手で引いてもらわねばならなかった。終戦の一ヵ月前、私は自らエックス線透視台上に立ち、われとわが内臓を透視してみた。スイッチを入れると輝く蛍光版上に映し出された腹に、左半分を占める大きな黒い陰影を見た。――ああ、ヒゾウの肥大だ。目をこすってもう一度たしかめた。まちがいは無い。――白血病!

さすがに、どきんとした。

幾多の先達を取り殺した白血病が、いま私の肉身にも起っている。余命いくばくもないのだ。しかも治療法はまだ見つかっていないのだ。次第次第に弱りつつ、死を迎えるのだ。医者だから、運命はよく知っている。

私は自分に診断を下したのち、しばらくそのエックス線機械の前に座っていた。この機械が放った放射線で、白血病が起ったのである。その放射口に手をあててみた。ここから私の命を縮める力が出ていたのだ。――だが、私の心の中には、どうしてもこの機械を憎んだり、恨んだりする感情がわき起ってこなかった。それどころか、反対に長年使いなれたこの機械に対する愛情がいよいよ深くなってゆくのが感じられた。

この室で十年以上も仕事をしたのだなあ! この機械をつかって何千人の患者の診察をしただろう! 結核を早期に発見してあげたので、治療が順調に行われ、間もなく元気になった、あのお嬢さんは、もうお嫁に行って幸福に暮していることだろう。顔の赤アザを治してあげたあの赤ちゃんは、美しい愛らしい顔になって幼稚園に行っているだろう。皮膚ガンを治してあげたあのお爺さんからは、元気だというお礼の手紙がきた。……たくさんの患者の顔が思い出される。

ここで手をとって教えた学生の数は何百人だろう。みんなそれぞれの病院で、いまごろ胸のエックス線写真をみたり、暗室で胃の透視などをしていることだろう。あの若い世代の人々に、とにかく放射線医学をてってい的に覚えさせたのも、この機械によってであった。

しみじみと想い出にふけりながら機械を見直した。スイッチ、ハンドルは、指にみがかれて光っている。ラックはあちこち剥げている。度々の修理に絶縁テープを巻かれて、まるで傷兵の腕のようなコード。変圧機の音もすでに雑音が交じって、老人の心音をきくようだ。この機械も弱っている。この機械の余命もあといくらも保つまい。

この機械は私に使われて、こんなに弱ったのだ。私はこの機械の放った放射線で、こんなに参ったのだ。いや、私と機械とは、どちらも、すりこぎだったのだ。患者を治すために、学生に教えるために、研究をするために、どちらも力を協せて働いてきたのだ。そしてもろともにわが命を縮めてしまったのだ。

私はしんみりと、配電盤にふきんをかけ始めた。