放射線の犠牲になった学究の記念碑が

私の一生もすりこぎだった。

原子放射線の研究に従った多くの先達も皆すりこぎだった。われとわが身を放射線で破壊され、生命をすり縮めなければ、仕事にならぬのが私らの定めであった。私がこの学問に身を入れて間もなく、大先達キュリー夫人の死の報に接したのだったが、「放射能の発見者、おのが発見せる放射能のために命をおとす」という記事が新聞にのせられたのをみて、若い私の胸は、あたかも殉教者のおごそかな最後を見てキリシタンに改宗した人のごとく、あやしくも躍ったものである。この道こそわがゆくべき道、この学問こそ全身全霊を打ちこんで悔いなき学問、大丈夫は死所を得んことをこれ願うのみ、私はいよいよ勇んで原子と取組んだ。

本記事が掲載された『婦人公論』1947年10月号。下は実際の誌面「原子病の床に」

ハンブルグに放射線の犠牲になった学究の記念碑が立っている。科学の殉教者と呼ばれてその碑に刻まれている医師、物理学者、化学者、機械技師、研究室助手、技術員、看護婦などの名は百を越している。その中には女性の名もみえる。キュリー夫人(ポーランド)、女医ブランカ公爵夫人(フランス)、ブランジナ童貞(カトリックの修道女)看護婦、マルタ・ウィッヘルハウス技師(ドイツ)、ラーシャウ・ニールセン看護婦長(デンマーク)、ヘルガ・シューマッヘル看護婦(デンマーク)、アンナ・レンベック童貞看護婦(フィンランド)、マーガレット・ブーリック助手(フランス)、グロッシング童貞看護婦(フランス)。その名は原子学の歴史に永遠に光っている。しかし彼女らの生きていた間は、まことに痛ましい忍苦そのものであったのだ。

キュリー夫人はラジウムのガンマ線のために悪性貧血症を起されて死んだ。ブランカ公爵夫人はエックス線装置の改良と多数の患者の診察に長年従事し、手にエックス線ガンが出来、腕の切断手術をうけて死んだ。ウィッヘルハウス技師は、ラジウム科学の研究中ラドンの吸入により肺硬化症にかかり25才で死んだ。ブーリック助手はラジウムをあつかっているうち、悪性貧血症と狭心症とをひき起されて死んだ。

ブランジナ修道女は外科のエックス線係で、写真をうつす時子供などが動かぬようにおさえる役目を受持っていたため、両手にエックス線ガンが出来、左腕と右のおや指とを切断された。それにもひるまず義手をつけてなおも仕事を続けているうち、肺内にガンが転移して呼吸困難を起し、さらに胸と背中とに大きなカイヨウができたので、横にやすむことができず、何ヵ月も座ったまま、祈りつつ死を迎えた。「人もし我に従わんと欲くせば、己をすて、己が十字架を取りて、我に従うべし」というキリストの言葉をそのまま守って、彼女はこの病苦を負い、主の御受難の道に従ったのである。

ラーシャウ及びシューマッヘル看護婦は、共にラジウム病院附であったが、ガンマ線により、悪性貧血症と白血病を起されて死んだ。レンベック及びグロッシング看護婦はいずれもエックス線係りで、エックス線のために手にガンができ、腕を切り落とされ、ついに全身にガンの転移を来たして死んだ。

これらの女性が、次第次第に悪化してゆくその慢性原子病をよく耐え忍んでいたのは、いずれも深い信仰の安心境にいたからであり、キリストの言葉「誰もその友のために生命を捨つるより大いなる愛を有てる者はあらず」になぐさめられていたからであろう。