佐藤はこの2009年、プロ生活でキャリア・ハイの成績を残している。ほぼ全試合に出場し、25本塁打、83打点、打率2割9分1厘を記録した。星野の言葉を自分なりに体現したのだった。

『世紀の落球』澤宮優・著 中公新書ラクレ

いま会社で管理職の立場にある佐藤は、失敗した部下に、なぜ失敗したのかを考えさせて、もう一度チャンスを与えるようにしている。念頭にあるのは、星野の教えだ。北京五輪の3位決定戦の前、星野はコーチ陣に「佐藤の野球人生をダメにしたくないからチャンスを与えたい」と言い、後逸・落球した翌日も佐藤を使ったと知ったのだ。

「もう一回オリンピックに出て金メダルを獲り返してやりたいです。もし、また最後に落球する運命だったとしても自分は行きます。あのことで自分は人の苦しみ、痛みがわかったので、いい経験をしたなと思うんです」

 

【事件2】1979年夏の高校野球/星稜・加藤直樹
試合終了かと思われた一球を…

1979年8月16日に行われた3回戦の箕島高校(和歌山)対星稜高校(石川)戦は、延長に入っても一進一退の攻防が続いていたが、16回表、星稜が一点をもぎ取る。

16回裏、箕島の攻撃。2死となったのち、6番森川康弘が一塁へファールフライを打ち上げる。ついに試合終了かと思われたが、ボールを追った星稜の一塁手・加藤直樹がなんと転倒。命拾いをした森川は5球目をレフトラッキーゾーンに運び、箕島は土壇場で再度同点に追いついた。そして、引き分け再試合寸前の18回裏、箕島がサヨナラ勝ちを収め、その後も勝ち進み優勝、春夏連覇を果たす。

試合後、加藤の自宅には「落球」を非難する電話がかかり、あのプレーを苦に自殺したという噂まで流される。その後チームメートとは野球の話をすることもなくなり、取材を受けるたびに苦い思い出が蘇った。

気持ちが吹っ切れたのは、箕島との“再試合”がきっかけだった。