バックナーと握手する池田純一さん(写真提供:池田家)

1986年、たまたまスポーツニュースを見ていた池田は驚愕する。ワールドシリーズ第6戦、10回裏二死から痛恨のエラーを犯し、チームを敗北させてしまったレッドソックスの一塁手・ビル・バックナーが、試合後のインタビューで「これが私の人生です。このエラーを自分の人生の糧にしたい」と言ったのだ。「そうや、そうや、自分もこんなふうに生きたかった」。涙を流しながら、池田は夫人に語ったという。

15年後。バックナーの住むアメリカ・アイダホ州ボイジーを訪ねた池田は、お互いのプレーとその後の人生を語り明かした。自分が受けた理不尽なバッシングのことを話すと、バックナーはこう言った。

「イケダ、人生にエラーはつきものだ。大事なことはそのあとをどう生きるかだ。あのエラーがあったから、今の人生があると言えるよ」

バックナーと会った4年後、池田は59歳で死去。くも膜下出血による突然の死だった。寸前まで、自分の体験を話すことで人を励ましたいと、講演などに出かけていたという。

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ここで取り上げた3人の選手は、「落球」の前後で大活躍をしている。

G.G.佐藤は、五輪前のオールスターゲームに両リーグ通じて最多得票で選ばれ、シーズン打率3割2厘(7位)を記録。星稜・加藤は初戦の宇治高校戦で2本のタイムリーを放ち、テレビの解説者が「いい打者ですね」というほどの打撃センスを見せている。そして阪神・池田は「落球」のあと、立て続けにサヨナラ本塁打を放ち、チームを勝利に導いた。・・・・・・しかし、彼らのこうした活躍は忘れ去られ、致命的なエラー「世紀の落球」をした選手、というイメージだけが強く残ってしまった。

低迷球団の監督を引き受け、戦う集団に鍛え上げた星野仙一、トレードマークのスマイルの裏に鬼の顔を持っていた尾藤公、通算2715安打の好打者ながら「史上最悪のトンネル」が常につきまとったビル・バックナー。野球というスポーツの厳しさを誰よりも知る者たちの言葉が、理不尽なバッシングにあい、叩きのめされた3人の選手を救ったのだった。