現在の加藤直樹さん

運命の試合から15年後。両チームのメンバーが集まり、7回制の軟式野球を行った。ウイニングボールが加藤に上がる。今度はキャッチして、星稜が雪辱。試合後の懇親会で箕島の尾藤公監督は、「加藤のために乾杯しよう」と言ってくれた。

さらに13年後。箕島高校の創立100年記念式典で行われた親善試合、尾藤は大きな声で言った。「今日は星稜のチームが来てくれました。加藤君もいます。私はこの場で加藤君の名誉のために言っておきます。あのときのファーストフライはエラーじゃなく、転倒です」。

そうだ、必死にボールを追いかけた末の転倒だった、と加藤は自分のプレーを誇ることができた。二人の交流は、尾藤が癌で亡くなる2011年まで続く。

現在、少年野球チームのヘッドコーチを務める加藤はこう語る。

「野球の神様が本当におるのなら、何であの大事な場面で転倒したのが俺なのだろうかと思うことがあります。でもね、神様が俺を選んだのだろうとも思うんです。あのおかげで今も野球に携わって指導することができています。悪いことばかりではなかったですからね。あの転倒がなければ野球は続けていなかった」

 

【事件3】47年前、伝統の一戦/阪神・池田純一
あの試合を勝っていたら、阪神は優勝していた!?

1973年8月5日、V9を目指す巨人と、それを阻止せんとする阪神の一戦は、阪神1点リードで9回を迎えていた。巨人の攻撃は2死1、3塁。あと一人で試合終了という場面で、センターに上がったハーフライナーを池田純一が後方に逸らし、阪神は逆転負けを喫する。そして、シーズン最終戦の巨人との直接対決、9対0で敗れた阪神が優勝を逃すと、「池田の落球がなく、あの試合を勝っていたら、阪神は優勝していた」と、突如バッシングが始まった。

マスコミやファンから責められつづけた池田は人間不信に陥る。成績も降下し、失意のまま引退。プロ野球を離れたあとも、週刊誌などであの「落球」はたびたび取り上げられ、池田は野球の話すらしなくなった。